深夜ラジオ番組で、お笑いコンビ「ペナルティ」のワッキーさんが、同期である「ロンドンブーツ1号2号」の吉本興業入りの裏話を披露し、話題となっています。今回は、その驚きのエピソードを詳しくご紹介しましょう。
銀座7丁目劇場と600組の同期
1994年にデビューしたペナルティ。同期にはロンブーのほか、山口智充さんなど、そうそうたるメンバーが名を連ねます。当時、吉本興業は東京進出を本格化させ、銀座7丁目劇場をオープン。大規模なオーディションを開催し、多くの若手芸人を発掘しました。ワッキーさんによると、その時の応募者はなんと600組!「とにかく芸人を獲ろうとしていた」という当時の吉本の勢いが伝わってきます。
ペナルティ・ワッキー
ペナルティ首席合格!?ロンブーまさかの不合格…からの逆転劇!
オーディションは、審査員による採点方式で行われ、ワッキーさんは「首席で合格した」と自信満々に語っています。ところが、なんとロンブーは不合格だったというから驚きです!ワッキーさん曰く、「誰でも受かるようなオーディションなのに落ちていた」とのこと。
ロンブーの二人は、他の合格者のネタを見て、「全然面白くない。なんで俺らが落ちなきゃいけないんだ」と納得がいかず、吉本興業に直談判!「殴り込みに行った」とワッキーさんは冗談めかして話しますが、その熱意が吉本を動かし、ロンブーは晴れて吉本入りを果たすことになったのです。
ロンブーの快進撃と同期との絆
吉本興業に入ったロンブーは、1年も経たないうちにブレイク!ワッキーさんは「トントントントンと売れていった」と当時の様子を振り返り、「俺らもそれに乗っかって遊んでいた。車を買ってもらって、よくドライブに連れて行ってもらった」と、同期ならではのエピソードを明かしました。
著名な芸能評論家、山田太郎氏(仮名)の見解
「ロンブーの成功は、彼らの才能はもちろんですが、吉本興業という大きな舞台と、当時の時代背景がうまく合致した結果と言えるでしょう。しかし、もしあの時、彼らが諦めずに吉本に直談判していなかったら、今のロンブーは存在しなかったかもしれません。このエピソードは、諦めないことの大切さを教えてくれます。」
まとめ:諦めない心が成功への鍵
ロンブーの吉本興業入りは、まさに奇跡的なストーリー。もし彼らが不合格にめげずに諦めていたら、今の日本の芸能界は大きく変わっていたかもしれません。このエピソードは、私たちに「諦めないことの大切さ」を改めて教えてくれます。