雇用主の社長夫妻を監禁したあげく刺殺した男は、事件の7年後、59歳で死刑執行されることになった。それを告げられた彼は、「人の命、弄ぶんも、いい加減にしやー。どうせ殺すんやったら、病気、治さんでも良かったがー」と激しく抵抗した。死刑執行のために癌治療を受けさせられた男の言い分に、理はあるのだろうか。※本稿は、山本譲司『出獄記』(ポプラ社)の一部を抜粋・編集したものです。なお、本稿にはショッキングな光景が描かれているのでご注意ください。
● 反省なき残虐な殺人犯 死刑に同情の余地はない
立ち会い室の中、八重垣武郎は、汗で滲んだ手を握り締める。
検察官になって25年目の八重垣だが、死刑執行を見届けるのは、これが初めてだった。ただし、一応の予備知識はある。死刑執行にあたり、どの役職の刑務官が、どんな役割を果たすのかなどについて、書籍やインターネットで調べ上げてきた。きょうそれが、目の前で行なわれるのである。
午前9時20分──。名古屋拘置所の西館地下にある刑場では、今まさに、1人の死刑囚への刑が執行されようとしていた。
僧侶による読経の声が、刑場内に響く。お香の匂いが、ここまで漂ってくる。立ち会い室には、拘置所の所長、総務部長、処遇部長がおり、庶務課長は、ストップウォッチを持ち、正面を凝視していた。
名古屋高等検察庁の総務部長の八重垣は、自ら進んで、この立ち会いに臨んでいる。通常は高検内で、くじ引きをして決めるのだが、あえて今回は、自分が立ち会う、と手を挙げた。正直なところ、検事長からの評価を得たいという気持ちも、少なからずある。
刑に処せられる永友寛治については、充分に理解しているつもりだ。5日前、法務省より指揮書が送られてきた時から、永友本人や事件の内容に関して、いろいろと確認してきた。永友は、実に残虐な手段で人を殺めていた。彼に、同情の余地はまったくない。公判中も、反省するどころか、検察官や裁判官に対して、罵声を浴びせることもあったようだ。
● 僧侶の説法も遺書も拒否 その彼に死刑執行を告げる
永友は、けさ執行を言い渡されて以来、精神状態が極めて不安定であるらしい。
「いつまた暴れだすか分かりませんので、執行時間を早めさせていただきます」
拘置所からのそんな連絡を受け、八重垣は、急いで駆けつけたのだった。車を断り、検察事務官の只野とともに速足で来た。
拘置所の幹部職員と挨拶を交わしたあと、八重垣と只野が足を運んだのは、「前室」という部屋である。壁に、金色の仏像が飾られてあった。部屋の中央にあるテーブルの上には、お茶が入ったペットボトル、それに和菓子や果物が用意されている。その横に置かれていたのは、遺書を認める便箋と筆記用具だった。
八重垣が、そうした品々に目をやっている時だった。やにわに部屋のドアが開き、永友が入ってきた。4、5人の刑務官に引きずられるようにして、テーブルのところまで連れて来られる。本来ならここで、僧侶による最後の説法が施される予定だった。だが、永友がそれを拒否したという。遺書も書かないらしい。八重垣の横に並んで立っていた所長が、早口で人定質問をし、続けて、死刑の執行を告げる。
「あなたへの執行命令がきましたので、今から刑の執行をします」
その言葉のあと、刑務官たちの動きが一気に慌ただしくなる。永友は、無理やりトイレに連れて行かれたようだ。
それから八重垣と只野は、所長に案内され、この立ち会い室に場所を移したのである。
折りたたみ椅子が並べられていた。八重垣は、促されるまま、右から3番目の椅子に腰かける。それを待っていたかのように、所長たちも椅子に座った。
● 今際の際の死刑囚が 刑務官に話しかける
八重垣は今、正面の執行部屋に、じっと目を注いでいる。
突如、青いカーテンが開いた。奥の前室から、執行部屋に永友が連れ出されてくる。手は、後ろで手錠をかけられ、固定されているのだろう。肩を激しく揺すり、そこから逃れようとしているように見える。それでも4人の刑務官によって、半分抱えられるようにして、赤枠の中心まで運ばれる。今度は足をばたつかせて、必死の抵抗を試みる。