みのもんた氏。昭和、平成とテレビで活躍した名アナウンサーが、2024年3月1日、80歳でこの世を去りました。数々の伝説を残した氏のホームグラウンドといえば、銀座。その中でも、こよなく愛した名店「クラブ順子」での思い出と、そこで出会った人生の師との物語を紐解いていきましょう。
銀座の夜と「クラブ順子」との出会い
生前、みのもんた氏は銀座についてこう語っていました。「文化放送入社後、先輩に連れられて初めて『クラブ順子』へ。数寄屋通りの地下にあるその店は、佇まいも客筋も一流でした。先輩アナウンサーの土居まさるさんも、順子ママの大ファンでしたね」。
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当時のみの氏は若手サラリーマン。高級クラブへ通うようになったきっかけは、深夜放送「セイ!ヤング」のヒットでした。「初代パーソナリティだったこともあり、レコード会社の方から連日お誘いが。『今日、一軒どうですか?』と(笑)。大らかな時代でした」。
「セイ!ヤング」で月曜日担当だったみの氏。水曜日は順子ママと熱愛が報じられていた作詞家のなかにし礼氏、金曜日は土居まさる氏。みの氏が「順子」に魅了されたのも、必然だったのかもしれません。
田辺茂一氏からの教え
「クラブ順子」で、みの氏は人生の師となる人物に出会います。1人目は、紀伊國屋書店の創業者、田辺茂一氏。田辺氏は、みの氏にある問いを投げかけました。
「3人のホステスをハワイに連れて行き、お土産代を渡したとする。1人目は全額でお土産を買った。2人目は半分使い、残りは自分のものにした。3人目は何も買わなかった。誰と付き合うべきか?」
みの氏が答えに詰まると、田辺氏は続けます。「全額使う女と付き合いなさい。そして、半分使う女は絶対にやめなさい」。この教えは、みの氏の心に深く刻まれたことでしょう。
山口洋子氏との出会い
2人目の師は、順子ママの師でもあり、直木賞作家・作詞家の山口洋子氏。みの氏は、「順子」に訪れていた山口氏から男女の機微を学びました。「山口さんの男を見極める眼力は恐ろしいものがありました」。
ある夜、山口氏はみの氏に問いかけます。「みのさん、男を見分けるポイントを知ってる?」。みの氏が首を横に振ると、「次の予定がある時、他の女がいる時、男はタバコを途中で消すのよ。私、そんな詞を書いちゃった」と。
その後、山口氏が作詞した中条きよし氏の「うそ」は150万枚の大ヒット。みの氏は、銀座という舞台で、貴重な学びを得ていったのです。
銀座の夜に刻まれた物語
みのもんた氏が愛した銀座「クラブ順子」。そこは、氏の青春時代を彩る華やかな社交場であり、人生の師との出会いという貴重な経験を与えてくれた場所でもありました。銀座のネオンに照らされた夜、そこで繰り広げられたであろう人間ドラマに思いを馳せずにはいられません。