大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」で描かれた遊女、瀬川(小芝風花)と蔦屋重三郎(横浜流星)の切ない恋物語。吉原の華やかな世界の裏に隠された遊女たちの厳しい現実、そして彼女たちにとって人生を変える唯一のチャンスであった「身請け」制度について、歴史的背景と共に深く掘り下げてみましょう。
瀬川と蔦重、叶わぬ恋と吉原からの脱出劇
ドラマでは、盲目の富豪からの身請け話を巡り、瀬川と蔦重の恋が大きく揺れ動きます。瀬川の年季明けを待ちわびる蔦重でしたが、妓楼の妨害や瀬川の身を案ずる蔦重の葛藤、そして最終的に瀬川が身請けを受け入れる決断に至るまでの描写は、多くの視聴者の心を掴みました。 吉原からの脱出を図る「足抜け」の失敗例や、瀬川に突きつけられた遊女としての宿命など、ドラマを通して吉原の過酷な現実が浮き彫りになっています。
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身請け:遊女の人生を変える唯一の道
吉原では、客が遊女の借金を肩代わりし、妻や妾にする「身請け」というシステムが存在しました。歴史評論家の香原斗志氏によれば、「五代目瀬川以外にも多くの遊女が身請けされ、中には有力藩主に落籍された者もいる」とのこと。身請けは、遊女にとって過酷な境遇から抜け出すための、ほぼ唯一の手段でした。
吉原の遊女と人身売買の闇
ドラマで描かれたように、吉原は「不幸な場所」でした。それは、遊女たちが人身売買の対象であったことに起因します。幕府は人身売買を禁じていましたが、実際には貧しい親が娘を妓楼に売り渡すという、事実上の人身売買が横行していました。
遊女の値段と厳しい現実
売られた娘の値段は、時代や身分によって異なりました。落語では高額で取引される描写もありますが、実際はもっと安価なケースが多かったようです。『世事見聞録』によれば、貧農の娘はわずか数十万円で売られていたという記録も残っています。 たとえ身請けされたとしても、多額の借金と利息、そして日々の生活費の負担は重く、遊女たちは長期間の年季奉公を強いられました。
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“べらぼう” が描く遊郭の真実
「べらぼう」はフィクションですが、当時の遊女たちの置かれた厳しい状況をリアルに伝えています。 身請けという制度が、彼女たちにとってどれほど大きな希望であり、同時にどれほど難しい選択であったか、想像を絶する世界を垣間見ることができます。「べらぼう」をきっかけに、吉原遊郭の歴史や遊女たちの生き様に興味を持つ人が増えることを期待します。