彼女はいつも人肌の温かさを求めていた女性だった――62歳で孤独死した女優を作家・五木寛之が振り返る


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 五木さんの最新刊『忘れ得ぬ人 忘れ得ぬ言葉』(新潮選書)から一部を抜粋・紹介する。

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不思議な存在感のひと

 しかし、それでいて不思議な存在感を漂(ただよ)わせている女性だった。

 私が新人作家だった頃、ある雑誌で彼女との対談の企画があった。少し早目に会場の店にいって待っていたが、一向に本人があらわれない。

 こちらも生意気ざかりの頃だったから腹を立てて、帰ろうとしたところへ彼女はやってきた。時計を見ると、30分ちかくおくれている。

 当然恐縮して謝るかと思ったが、一向にその気配がない。私の顔を見て、いきなり言った言葉が「やっぱり体温が伝わってくるって、いいね」だった。

「もう超満員で坐るところがないの。仕方がないから若い大学生の膝(ひざ)の上に乗っかって観たの。お尻の下からじわっと体温が伝わってきて興奮しちゃった。やっぱり体温が伝わってくるのって、いいね」

 まだアルコールもはいっていないのに酔った目がうるんでいた。コロナの時代に、ソーシャルディスタンスが強調され過ぎると、ふとその言葉を思い出す。

熱い時代とコロナの時代

 三密を避けよ、とやたら対人距離をとることが叫ばれる今とちがって、人々は接触し、肉体をぶっつけ合い、口から泡をとばして議論しあう。若い仲間同志が殴りあい、批判しあう。

 人々は密集し、密着し、密接に行動した。映画館では学生たちがやくざ映画に弥次(やじ)をとばし、「異議なし!」と拍手をした。

 舞台から降りて観客と議論する俳優がいた。観客参加の演劇が流行した。

「書を捨てよ、町へ出よ!」

 というのが時代の合言葉だった。不要不急の人々が深夜の町を彷徨(ほうこう)した。

 そんな時代に女優として生きることは、職業として演技するだけでは十分ではない。生活そのものがスクリーンだったのである。

 大原麗子は、そんな時代に生きた女優だったのだ。



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