地下鉄サリン事件30年:霞ヶ関駅で未知の恐怖に立ち向かった男

地下鉄サリン事件から30年。未曽有のテロに日本中が震撼したあの日、現場で何が起きていたのか。今回は、警視庁警備部で装備品の調達を担当していた神正三氏(当時45歳、仮名)の体験を通して、霞ヶ関駅での緊迫の状況を振り返ります。

予期せぬ事態:化学防護服のお披露目から一転

1995年3月20日。オウム真理教への強制捜査を2日後に控えたこの日、警視庁本部庁舎では、新たに調達された化学防護服のお披露目が予定されていました。神氏は、教団のサリン製造への関与が濃厚であったことから、有事に備えて準備を進めていたのです。

午前8時20分過ぎ、警察無線から突如緊迫した内容が流れ込んできました。「地下鉄で爆発」「刺激臭で人が倒れた」「口から泡や血」。神氏は、この一連の情報から「オウムだ」と直感しました。

霞ヶ関駅前で当時を振り返る神氏霞ヶ関駅前で当時を振り返る神氏

現場での闘い:死を覚悟した地下鉄構内

即席で結成された処理班の一員として、神氏は防護服と防毒マスクを装着し、霞ヶ関駅へと向かいました。地下鉄構内へ降りる階段を下りながら、「死ぬかもしれない」という覚悟が頭をよぎったといいます。

日比谷線の車両内では、新聞紙に包まれたビニール袋が床に置かれていました。窓を少し開け、車内に入った神氏は、ゴム手袋で床に漏れた液体を回収していきました。

ホームに戻ると、一般のマスクを着用した鑑識係員が、回収物を写真に収めようと近づいてきました。しかし、その係員は突然後ろに倒れてしまったのです。

地下鉄サリン事件現場地下鉄サリン事件現場

未知の恐怖:サリン回収と縮瞳

午前11時、警視庁は地下鉄にまかれた異物が「サリンの可能性が高い」と発表しました。神氏らはその後も2駅を回り、サリンの回収を続けました。千代田線霞ヶ関駅では、サリン入りの袋が構内の金庫に保管されていたといいます。

庁舎に戻った後、神氏は視界が暗くなる「縮瞳」の症状に見舞われました。防護服に付着したサリンを脱衣時に吸い込んだことが原因と考えられています。

当時の状況について、危機管理の専門家である田中一郎氏(仮名)は、「化学テロに対する知識や備えが不十分だったことが、被害を拡大させた一因と言えるでしょう」と指摘しています。

教訓を未来へ:語り継ぐ使命

2010年に定年退職した神氏は、事件の風化を防ぐため、後輩たちに自身の経験を語り続けています。「あの日の恐怖を決して忘れてはならない。そして、未来への教訓として語り継いでいくことが私の使命だ」と、神氏は静かに語りました。