2年前にガンと診断され、死を意識したときに“人生で本当にやり残したこと”を考えたという、ももちよさん。たどり着いた答えは、学生時代から続けていたコスプレだった。しかし、再開後は思いもよらずバッシングや批判に晒され、活動を続けることへの葛藤もあったという。そんな彼女に誹謗中傷との向き合い方や、苦悩について迫る。(前後編の前編)
【写真】「いつかではなく今コスプレをしたい」ももちよさんの撮り下ろしカット【8点】
――そもそも、コスプレを始めたキッカケからお聞かせ願えると。
ももちよさん 学生のころ、ゲームセンターでよく遊んでいたのですが、チャイナ服やセーラー服のコスプレ衣装が景品として置いてあったんです。それを着てゲームをしたのがキッカケですね(笑)。本格的にコスプレをするようになったのはもう少し後ですが、友達が『新世紀エヴァンゲリオン』のアスカのコスプレをしているのを見て、「コスプレってこんなに気軽に楽しんでいいんだ」と思ったんです。その衣装を借りたのが最初かな。そこから福岡ドームで開催されていた「コミケ」に似たイベントにもよく参加していました。
――当時のコスプレはどんな位置づけの趣味だったのでしょうか。
ももちよさん 今ほどコスプレイヤーさんが多くなかったですし、「コスプレをやっています」と公言して理解されるようなものでもなかったと思います。だからこそ、数少ないオタク仲間で密かに楽しむものでしたね。
――肩身の狭い環境だったのですね。それでも続けてこられた理由は何だと思いますか?
ももちよさん とはいえ、両親がともにゲーム好きなオタクだったので、むしろ「いいじゃん!ママもやりたい!」と言ってもらえる環境ではありました。それにオタク友達も気の合う人ばかりで、気楽に楽しめていましたよ。そうこうしているうちに、えなこさんが「職業・コスプレイヤー」という肩書で世間に注目され始めたんです。また、私たちがコスプレしていた作品が世の中で流行るようになって、「その作品知ってる!」と言われることも増え、少しずつ認められるようになった時期ですね。
――福岡から上京して、現在は東京にお住まいとのことですが、地元での思い出について教えてください。
ももちよさん ひたすらゲームをしていましたね。『ドラゴンクエストX』を4アカウントで1万8000時間プレイしていたくらいですからね(笑)。
――なぜ上京しようと思ったのですか?
ももちよさん 東京に出てきた理由は、「コミケ」などの大きなイベントに参加するのが大変だったから上京したんですよね。でもある出来事がキッカケでコスプレをやめようと思ったこともあります(笑)。