映画監督・篠田正浩氏の訃報を受け、妻である女優・岩下志麻さんが深い悲しみのコメントを発表しました。篠田監督は3月25日、肺炎のため94歳で永眠。岩下さんは松竹を通じて、「58年間人生を共にしてまいりましたので、今はただ、悲しみと喪失の思いで胸がいっぱいです」と、最愛の人を失った悲痛な胸の内を明かしました。
映画界を代表するおしどり夫婦、58年の軌跡
1964年公開の映画「暗殺」での共演をきっかけに交際が始まり、1967年3月に結婚。早稲田大学時代には箱根駅伝を走ったスポーツマンで爽やかな篠田監督に、岩下さんはぞっこんだったと言われています。映画界でも屈指のおしどり夫婦として知られた2人は、公私ともに深い絆で結ばれていました。
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4年間の献身的な介護、そして感謝の言葉
篠田監督は4年前からパーキンソン病を患い、岩下さんは献身的に介護を続けてきました。今年1月には転倒による骨折、3月には肺炎を患い、ついに力尽きてしまったとのこと。岩下さんの無念さは計り知れません。
「この4年間パーキンソン病と闘いながらどうにか日常生活に支障はなく生活しておりましたが、今年1月に転倒して骨折をしてしまい、また3月に肺炎になりついに力尽きてしまいました」と、闘病生活の様子を明かした岩下さん。
「篠田と出会ったことによってたくさんの作品でいろいろな役を演じることができました。今の私があるのは本当に篠田のおかげだと思っております」と、感謝の思いを述べています。
“映画という魔物”と闘った日々
篠田監督は生前、「僕たちは映画という魔物に取りつかれて2人で魔物退治をやってきたようなもの」と話していたそうです。岩下さんは、そんな篠田監督に「今は感謝の言葉しかありません」と、深い愛情と敬意を表しました。
1965年に松竹を退社し、1967年に独立プロダクション「表現社」を設立した篠田監督。岩下さんは共に映画の道を歩み、「心中天網島」「瀬戸内少年野球団」「鑓の権三」「少年時代」「写楽」、そして遺作となった「スパイ・ゾルゲ」など、数々の名作を生み出してきました。
加賀まりこも追悼、篠田監督との出会いを回顧
篠田監督の作品に出演経験のある女優・加賀まりこさんも追悼のコメントを発表。「篠田さんと寺山修司さんに路上で声をかけられていなかったら、女優をやってなかったかもしれない」と、17歳の頃の運命的な出会いを振り返りました。パーキンソン病で闘病していた篠田監督を偲び、「このご時世で、いまだ治療法が見つかっていない病気。篠田監督もつらかったと思いますよ」と語りました。
後日、篠田監督のお別れの会が予定されています。