戦後70年以上が経過した今もなお、解決を見ない問題があります。それは、第二次世界大戦後、BC級戦犯として裁かれた朝鮮人たちの苦難の歴史です。彼らの多くは強制的に日本軍の捕虜監視員として動員され、終戦後、戦争犯罪人として扱われました。自らの意思とは無関係に戦争に巻き込まれ、祖国からも見捨てられた彼らの悲劇、そして補償を求め続ける遺族たちの70年にわたる闘いについて、深く掘り下げてみましょう。
植民地支配が生んだ悲劇:強制動員とBC級戦犯
第二次世界大戦中、日本は多くの朝鮮人青年を捕虜監視員として強制動員しました。これは、日本による植民地支配政策の残酷な一面を象徴する出来事です。終戦後、これらの朝鮮人青年たちはBC級戦犯として裁かれ、死刑判決を受けた者も少なくありませんでした。皮肉なことに、非人道的な捕虜政策を立案・実行したのは日本軍部でありながら、日本政府は彼らの責任を一切認めようとしませんでした。
BC級戦犯とされた朝鮮人に関する集会の様子
祖国からも見捨てられた苦難の道
悲劇はBC級戦犯としての烙印だけで終わりませんでした。彼らは祖国からも「対日協力者」「戦争犯罪者」として非難され、故郷に帰ることも許されませんでした。さらに、日本政府は彼らをサンフランシスコ平和条約に基づき「日本国籍を喪失した」という理由で、福祉や援助の対象から除外しました。異国の地で生活苦に喘ぎ、自殺や精神疾患に苦しむ者もいたといいます。
同進会70年の闘い:正義と補償を求めて
1955年、BC級戦犯とされた朝鮮人やその遺族は「同進会」を結成し、日本政府に援助と補償を求める活動を 시작しました。しかし、日本政府は「1965年の日韓基本条約ですべて解決済み」という主張を繰り返すばかりでした。同進会は1991年に日本政府を提訴しましたが、最高裁は「朝鮮人戦犯のための法律がない」という理由で訴えを棄却しました。
政治の壁、そして司法の限界
2008年には日本の民主党が関連法案を提出しましたが、成立には至りませんでした。韓国の憲法裁判所でも、同進会が起こした違憲訴訟は僅差で却下されました。政治の壁、そして司法の限界が、彼らの正義への道を阻んできました。
同進会の活動を支援してきた内海愛子名誉教授と朴来洪会長
忘れられた歴史に光を:未来への希望
2021年、同進会の最後の被害当事者であった李鶴来前会長が亡くなりました。同進会には今、被害当事者は一人も残っていません。しかし、彼らの70年にわたる闘いは、私たちに重要な問いを投げかけています。戦争の犠牲となった人々の権利はどのように守られるべきなのか、そして歴史の真実をどのように後世に伝えていくべきなのか。同進会70年の歴史は、まさに「歴史の闇」に光を当てる闘いでした。そして、その光は、未来への希望へと繋がるはずです。