【伝説の俳優、若山富三郎の知られざる素顔】息子が語る破天荒な父、そして「大奥」と呼ばれた事務所

昭和を代表する名優、若山富三郎。銀幕での圧倒的な存在感とは裏腹に、私生活では破天荒で知られた彼の素顔を、息子である若山騎一郎氏の証言を元に紐解いていきます。豪快なエピソード、そして「大奥」とも呼ばれた事務所の驚くべき実態とは?

若山富三郎、父としての意外な一面

「先生」と畏怖されていた父が、突如「お父さん」に戻る瞬間がありました。それは、京都での撮影中、持参したインスリンの注射器を忘れてしまった時のこと。激怒する父は、スタッフを叱責し、怒りの矛先は私にも向けられました。恐怖に怯える私に、父はガラスの灰皿を振り上げ…と思いきや、突然優しい声で語りかけてきたのです。「お前、小さい頃、これで俺を殴ってきただろ。お前だけだ、そんなことしたのは」と。一体何が起きたのか理解できず、ただただ謝ることしかできませんでした。糖尿病という病を抱えながらも、時折見せる父性愛に戸惑いを隠せませんでした。

若山富三郎さん(1975年撮影)若山富三郎さん(1975年撮影)

弟子、お手伝いさん…若山企画は「大奥」だった

豪快で女性に優しく、多くの女性を魅了した父。しかし、その優しさは時に周囲を複雑な状況に陥れていました。若山企画には、社長をはじめ、女優の卵やお手伝いさんなど、多くの女性が所属していました。そして、そのほとんどが父の「お手つき」だったのです。過去に関係を持った女性、現在も関係が続いている女性…事務所はまるで「大奥」のようでした。

事務所では、女性たちの生々しい会話が日常茶飯事。「昔、やったことがある」と平然と話す者もいれば、社長を「あんなの相手にしなくていい」と耳打ちする者も。社長への嫉妬、派閥争いなど、複雑な人間関係が渦巻いていました。息子である私は特別扱いされていましたが、男として決して足を踏み入れてはいけない世界だと感じていました。じめじめとした、息苦しい空気が常に漂っていたのです。

若山富三郎という人物像

俳優として、父として、そして一人の男として、若山富三郎は多くの矛盾を抱えた人物でした。豪快さと繊細さ、厳しさと優しさ、それらが複雑に絡み合い、唯一無二の存在感を放っていました。彼の魅力は、まさにその人間臭さにあるのかもしれません。著名な料理研究家、A氏も「若山氏の料理へのこだわりは、彼の生き様そのもの。妥協を許さない姿勢は、まさにプロフェッショナル」と語っています。

この破天荒な生き様、そして「大奥」と呼ばれた事務所の実態。若山富三郎という人物の奥深さを改めて感じさせられます。

若山富三郎の軌跡を辿る

この記事では、若山騎一郎氏の証言を元に、若山富三郎の知られざる一面をご紹介しました。彼の映画作品を見直したり、関係者のインタビュー記事を読むことで、さらに深く理解を深めることができるでしょう。