2020年、新型コロナウイルスが世界を震撼させた中で、日本国内で大きな衝撃を与えた出来事の一つが、大型クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」号での集団感染です。豪華客船での夢のような船旅が、突如として悪夢へと変わってしまった乗客たちの物語。今回は、その中でも特に、愛する夫を船内で失った多岐沢よう子さん(仮名)の体験を通して、当時の船内での混乱と悲劇を振り返ります。
結婚記念日のクルーズ旅行がまさか…
多岐沢よう子さん(仮名、79歳)と夫の茂男さん(仮名、当時75歳)は、結婚記念日を祝うため、ダイヤモンド・プリンセス号でのクルーズ旅行に出かけました。1月20日に横浜港を出発し、アジア諸国を巡る華やかな船旅。数々の美しい思い出を写真に収め、2月4日の記念日に横浜へ帰港、下船する予定でした。
ダイヤモンド・プリンセス号船内で夫と写るよう子さん
しかし、幸せな時間は長くは続きませんでした。帰港前日の2月3日、船内で新型コロナウイルス感染者の発生がアナウンスされたのです。数日前から咳をしていた茂男さんも、不安を抱えながら医務室を受診しました。
よう子さんの日記
船内待機、そして高まる不安
ダイヤモンド・プリンセス号は横浜沖に停泊し、乗客乗員は2週間の船内待機を余儀なくされました。当初、船内ではイベントなどが通常通り行われていたといいます。感染拡大の深刻さを物語るエピソードです。
船内イベントの案内と感染者発生を知らせる案内
茂男さんの症状は悪化し、7日に配布された体温計で測ると38.2度の高熱。糖尿病の持病もあったため、よう子さんは何度も医務室に電話をかけ、助けを求めました。しかし、対応は遅く、適切な処置を受けられないまま、不安な日々が続きました。
よう子さんの日記
繰り返されるSOS、届かぬ声
高熱が続く茂男さんの様子を記録したよう子さんの日記には、当時の緊迫した状況と、医療体制への不信感が綴られています。感染症専門医の佐藤先生(仮名)は、「初期の対応の遅れが、感染拡大を招いた可能性は否定できない」と指摘しています。
救急車
よう子さんは医務室への電話を諦めず、廊下に出ようとした際には乗員に制止されたといいます。「まるで監獄のようだった」と、当時の心境を語っています。
突然の別れ、そして後悔
10日、ついに医師が客室を訪れ、茂男さんは病院へ搬送されることになりました。よう子さんは、茂男さんが回復して戻ってくることを信じ、服や現金などをリュックに詰めて医師に渡しました。それが、夫との最後の会話になるとは、想像もしていなかったでしょう。
茂男さんの写真
搬送時に配られたマスク
茂男さんは、搬送後に容体が悪化し、帰らぬ人となりました。ダイヤモンド・プリンセス号では、最終的に712人の感染者と13人の死者が確認されました。
ダイヤモンド・プリンセス号
未だ癒えぬ傷、そして教訓
5年が経った今も、よう子さんの心には深い傷が残っています。庭の花柚子の木に集まるスズメを見ながら、茂男さんと過ごした日々を偲ぶ毎日を送っています。
花柚子の木
ダイヤモンド・プリンセス号での出来事は、パンデミック初期の混乱と、感染症対策の重要性を改めて私たちに突きつけました。この悲劇を風化させることなく、教訓として未来へと繋いでいく必要があります。