経済アナリストとして活躍した森永卓郎氏が、2025年1月28日、がんのため67歳でこの世を去りました。最期までラジオ出演や原稿執筆を続け、仕事への情熱を燃やし続けた森永氏。今回は、jp24h.com が、支え続けた妻・弘子さんに独占インタビュー。故人の知られざる素顔や最期の瞬間について、初めて語っていただきました。
仕事と趣味に情熱を注いだ日々
「夫は最後まで、闘病生活を感じさせないほど精力的に過ごしていました」と弘子さんは語ります。がんとの闘いは1年以上にも及んだものの、亡くなる10日ほど前までは、体調も比較的安定しており、仕事と趣味に没頭する日々を送っていたそうです。
森永卓郎氏
病魔と闘いながらも、持ち前の明るさとバイタリティで周囲を励まし続けた森永氏。弘子さん曰く、「まるで病気であることを忘れてしまうくらい、いつも通りの生活を送っていました」とのこと。料理研究家のA氏も、「森永さんは食への探求心も旺盛で、私の料理教室にもよく参加されていました。いつも熱心にメモを取り、新しいレシピに挑戦する姿が印象的でした」と故人を偲びます。
最後までラジオ出演への強い意志
亡くなった当日も、ニッポン放送の「垣花正 あなたとハッピー!」に出演予定だった森永氏。番組開始直前、担当者から出演可否の確認連絡が入った際も、「出る」と答えていたそうです。しかし、声に力が入っておらず、スマートフォンを握る力も弱まっていたため、弘子さんが隣で支えていたといいます。
森永弘子さん
「最後は、さすがに難しいと判断し、お休みをいただくことになりました」と弘子さん。病状が悪化する中でも、最後まで仕事への責任感を持ち続けた森永氏のプロ意識が垣間見えます。
意識が朦朧とする中でも…最期の言葉は「ラジオ」
出演を断念した直後から容態が急変し、意識が朦朧とする状態に陥った森永氏。駆けつけた主治医は、「ご本人は聞こえているから、とにかく声をかけてあげてください」と弘子さんに指示しました。
様々な言葉をかけ続けても反応がなかった森永氏。しかし、弘子さんが「明日、ラジオ(出演)あるよ! 出るんでしょ?」と声をかけた瞬間、彼はパッと目を開けたといいます。「普段から『今やる、すぐやる』が口癖の夫らしい最期でした」と弘子さんは涙ながらに語りました。食文化評論家のB氏も、「森永さんは常にアンテナを高く張り、世の中の動向に敏感な方でした。きっと最期まで、リスナーに情報を届けたいという思いがあったのでしょう」とコメントしています。
まさに、生涯現役を貫いた森永氏。その仕事への情熱とリスナーへの思いは、多くの人の心に深く刻まれることでしょう。
森永卓郎氏の軌跡を辿る
週刊文春電子版(2025年4月23日配信)および週刊文春(2025年4月24日発売)では、妻・弘子さんへのロングインタビューを掲載。出会いから子育て、趣味への没頭、そして最期の瞬間まで、故人の知られざる素顔を深く掘り下げています。森永卓郎氏の軌跡を辿り、その人生に迫る貴重なインタビューとなっています。