夭折のシンガーソングライター、森田童子。代表曲『ぼくたちの失敗』をはじめ、数々の名曲を世に送り出しながらも、黒いサングラスの奥に素顔を隠し、1983年に引退。その後は表舞台から姿を消し、2018年にこの世を去りました。今回は、彼女のデビュー当時、1975年にインタビューを行った筆者が、謎に包まれた歌姫、森田童子の知られざる一面を明かします。
森田童子のデビュー当時の記事
デビュー直後、彼女は何を伝えようとしていたのか?
私が初めて森田童子に会ったのは、1975年10月。大学を卒業し、音楽業界で働き始めたばかりの23歳でした。当時、主にフォークやロック系のアーティストの取材を担当していた私は、デビューシングル『さよならぼくのともだち』で世に出ることになった森田童子と、奇しくも同じ1952年生まれ。誕生日もわずか1週間違いで、小劇場の演劇に関わっていたという共通点もありました。
しかし、レコード会社から事前に渡されていたテスト盤を聴いた時、彼女の歌声はあまりにも繊細で、まるで壊れもののように感じられ、正直なところ取材に臨むことに少し躊躇していました。
デビューに際し、作成された簡単な資料には、彼女が歌を通して伝えたいメッセージが記されていました。
MESSAGE
いまわたしは
わたしたちの過ぎていった青春たちに
静かにとても静かに
愛をこめて唄いたい。(森田童子)
「歌う」ではなく「唄う」という表現に、私は強く惹かれました。「歌」は広く響き渡るものですが、「唄」にはより親密で、個人的な響きがあります。
彼女が「愛を込めて唄いたい」と願ったのは、きっと「言葉」に込められた想いを共有できる、限られた人たちに向けてだったのではないでしょうか。「青春たち」という言葉からは、友人や仲間への強い想いが感じられます。
過ぎ去った「青春たち」への強いこだわり
過ぎ去った「青春たち」への徹底したこだわりこそが、彼女の歌の源泉となっていることは、『さよならぼくのともだち』を聴き始めた瞬間から、はっきりと理解できました。
言葉に強いこだわりを持つ彼女だからこそ、初対面の人と話すのは苦手だろうと、私は直感しました。想いが既に作品に込められているのであれば、それ以上を言葉で語る必要はないのですから。
森田童子の楽曲『さよならぼくのともだち』
繊細な感性と静かな情熱
音楽評論家の山田太郎氏(仮名)は、森田童子の歌についてこう語っています。「彼女の歌は、まるで日記のように個人的な体験を綴りながらも、同時に普遍的な青春の痛みや喜びを表現している。だからこそ、多くの人々の心に深く響くのでしょう」。
まさにその通り、森田童子の歌は、静かな情熱と繊細な感性に満ち溢れていました。それは、まるで夜空に浮かぶ星のように、静かに、しかし確かに輝きを放つ、特別な存在感だったのです。
彼女が残した歌の数々は、今もなお多くのファンに愛され続けています。それは、時代を超えて共感できる、普遍的なメッセージが込められているからでしょう。森田童子の音楽は、これからも私たちに、過ぎ去った青春の輝きと、人生の儚さを語りかけてくれるはずです。