継母からの心無い言葉、まるで舞台の上の演技のような家族…53歳の滝川沙織さん(仮名)は、壮絶な幼少期を過ごしました。実母を亡くし、寺に預けられた沙織さんは、小学校卒業後に父親と再婚相手である継母との生活を始めます。しかし、それは想像を絶する苦しみの始まりでした。ノンフィクション『母と娘。それでも生きることにした』(集英社インターナショナル)から、沙織さんの体験を紐解き、継母からの虐待の実態に迫ります。
継母からの容赦ない仕打ち
沙織さんは、継母から絶え間ない精神的虐待を受けていました。外出先では、店員や周囲の人々に聞こえるように「この子、嫌なのよ」「一緒に出かけるのも恥ずかしいわ」と沙織さんを貶める言葉を浴びせられました。まるで、沙織さんに恥をかかせることが喜びであるかのような言動でした。
滝川沙織さんの著書「母と娘。それでも生きることにした」
沙織さんの服装やセンスに対しても、「センス悪いわー」「ピントズレてるわー」と否定的な言葉を繰り返し投げつけられました。寺で育ったために世間知らずな自分を責め、継母の言葉が正しいと信じるしかありませんでした。
世間知らずの少女への厳しい叱責
都会での生活に慣れていない沙織さんは、電車の乗り方や切符の買い方も知りませんでした。当然、切符の取り忘れなども起こります。そんな時、継母は「何にも知らないんだから!なんで聞かないのよ!」と激しく叱責しました。何を聞いていいのかすらわからない沙織さんにとって、継母の言葉は理不尽に感じられたことでしょう。
継母と一緒に出かける際も、沙織さんはいつも置いてけぼりにされました。一人でスタスタと先を歩く継母の後ろ姿を見失い、迷子になることも少なくありませんでした。しかし、迷子になった沙織さんを待っていたのは、継母の更なる怒りでした。「なんで迷子になりそうな時に、私を呼ばないのよ!」と、沙織さんの不安や恐怖を理解しようとせず、ただただ責め立てるばかりでした。
繰り返される心無い言葉と理不尽な仕打ちにより、沙織さんは継母を「お母さん」と呼ぶことさえ苦痛になっていきました。家族としての温もりを感じることのできない、まるで演技のような生活の中で、沙織さんはどのようにして心を守ってきたのでしょうか。
精神的虐待の深刻な影響
児童精神科医の佐藤先生(仮名)は、継母のような言動は深刻な精神的虐待にあたると指摘します。「特に幼少期におけるこのような体験は、自己肯定感の低下や対人関係の構築に大きな影響を及ぼす可能性があります。」
沙織さんのケースでは、常に否定され続け、自分の存在価値を疑うようになってしまったことが懸念されます。また、周囲の人々の前で恥をかかされることで、強い羞恥心や不安感を抱えている可能性も考えられます。
このような精神的虐待は、目に見える傷を残さないため、周囲から気づかれにくいという特徴があります。しかし、子どもの心には深い傷跡を残し、成長後の人生にも大きな影を落とす可能性があります。
続く記事では、沙織さんがどのようにしてこの苦境を乗り越え、自分の人生を切り開いていったのか、その力強い生き様を追っていきます。