焼失した首里城跡 発掘でジレンマ…ルーツ解明か、遺構保存か

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沖縄県警と消防による実況見分が行われた首里城=1日午後3時35分、那覇市(共同通信社ヘリから)

沖縄県警と消防による実況見分が行われた首里城=1日午後3時35分、那覇市(共同通信社ヘリから)

 先月末に那覇市の首里城が焼失したことを受け、専門家から首里城正殿跡の発掘調査を行うよう求める声が上がっている。1980年代の発掘調査は不十分とされ、首里城のルーツが未解明のまま残っているからだ。しかし、本格的な発掘調査を行えば再建が遅れるのは必至で、世界遺産となっている石垣や土台などの遺構が損なわれる恐れも指摘されている。(杉本康士)

 今回の焼失が、結果的に首里城のルーツを解明するきっかけにもなりうると指摘するのは建築史が専門の伊從(いより)勉・京大名誉教授だ。伊從氏は再建する前に、「首里城の遺構を発掘調査するべきだ。首里が成立した時期の手がかりは発掘調査しかない」と語る。

 首里城は、後に琉球を統一した第一尚氏の尚巴志(しょう・はし)が1427年までに造営を終え、王城は現在の浦添市から那覇市首里に移転していたというのが通説だ。ただ、それ以前に存在した察度(さっと)王統の王が首里に高楼を建てたとする記録も残っており、首里城のルーツは正確には分かっていない。

 県は1985(昭和60)~86年度に発掘調査を行い、調査結果などを基にして92年に正殿が復元された。調査では年代が特定されていない柱穴も発見された。県文化財課によると、1427年以前のものである可能性もあるという。

 だが、前回調査では柱穴の詳細な調査は行われなかった。柱穴の年代を特定するには、穴を半分に切って断面を調べる作業「半裁」を行い、地中の陶器などを分析する必要があるという。

 琉球考古学会会長で、沖縄国際大の上原静教授は発掘に否定的だ。「正殿の位置を確認する調査は前回で終わっている。正殿は時代ごとの遺構が折り重なっているので、古い時代の遺構は新しい遺構を壊さないと調査できない」と説明する。発掘で柱穴などを調べ、遺構を損なえば世界遺産の登録を外される恐れも指摘されている。

 また、発掘するとしても、調査は長期間になる見通しが濃厚だ。正殿跡には遺構を保護するために68センチの土がかぶせてあり、遺構を傷つけず土を取り除くには手作業が必要。多くの県民が「一日も早い再建」を願う状況の中で、工事が大幅に遅れてしまえば、県民の理解は得られない。

 沖縄県の玉城デニー知事は首里城を「うちなーんちゅ(沖縄の人)のアイデンティティーのよりどころ」と表現する。発掘調査による遺構破壊を認めないのは一つの正論でもある。

 他方、発掘調査を行えば、琉球王国の起源をより深く理解する手がかりになり得る。今回、再建工事に入る前に調査をしなければ、「首里城の謎」は今後も残ったままになる。

 ルーツ解明か、それとも遺構保存か-。ジレンマを解く手段は現在のところ見当たらない。県文化財課の浜口寿夫課長は「将来的に遺構を傷つけずレーダーや磁気で調査できる技術が生まれるかもしれない。その時を待つしかない」と語る。

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