稲川会六代目総裁、清田次郎氏が4月21日、84歳で逝去されました。川崎市内の傘下組織事務所で行われた葬儀には、六代目山口組の司忍組長、竹内照明若頭、高山清司相談役といったトップ3が参列し、両組織の強い結びつきを改めて印象づけました。この記事では、清田氏の功績を振り返るとともに、山口組と稲川会の蜜月関係の背景を探ります。
稲川会を支えた清田次郎総裁の足跡
2010年に五代目会長、2019年に六代目総裁に就任した清田氏は、闘病生活を送っていたものの、内堀和也会長の相談役として組織運営に尽力。六代目山口組、住吉会とのトップ会談を実現させるなど、ヤクザ界の重鎮として大きな影響力を持っていました。
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山口組トップ弔問、異例の厳戒態勢
清田氏の訃報を受け、山口組トップ3は弔問に訪れました。分裂抗争終結宣言後も、神戸山口組など他団体の動向は不透明なため、横浜駅周辺には多数の警察官が配置されるなど、厳戒態勢が敷かれました。山口組側もボディガードを同行させ、到着時間をずらすなど、安全確保に細心の注意を払っていました。
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1970年代から続く山口組と稲川会の親戚関係
山口組と稲川会の親密な関係は、1970年代に三代目山口組の山本健一若頭と稲川会の石井隆匡理事長が兄弟盃を交わしたことに始まるとされています。一時関係が揺らいだ時期もありましたが、近年は再び強固な絆で結ばれています。今回の分裂抗争終結においても、内堀会長は住吉会とともに仲介役を務めたと言われています。
竹内若頭と内堀会長、五分の兄弟盃が絆を深める
両組織の蜜月関係を支える要因の一つとして、竹内若頭と内堀会長が五分の兄弟盃を交わしていることが挙げられます。清田総裁が昨年末に容態を悪化させた際には、竹内若頭が山口組の恒例行事である餅つきを欠席し、関東で待機していたというエピソードからも、両者の強い信頼関係が窺えます。
今後も続くであろう両組織の蜜月
清田氏の死去は稲川会にとって大きな痛手ですが、山口組との強固な関係は今後も継続すると予想されます。両組織のトップが兄弟分であるという関係性は、今後のヤクザ界の勢力図にも大きな影響を与える可能性があります。 両組織の動向に注目が集まります。