人間誰しも、愚痴を聞いてほしいときもあれば、喜びを分かち合いたいときもある。それは学校の教員も同じだ。つらい経験に共感したり、笑い話にほっこりしたり、はたまた、成功体験をシェアしたり――、そんな学校現場の知られざる「リアル」をお届けしていく。
【表で見る】全国高等学校総合文化祭の第1回からの開催実績(開催地、参加校数、出演・出品生徒数など)と、第53回までの開催予定地
今回紹介するのは、公立高校教員の白木早紀さん(仮名)。「文化部のインターハイ」と呼ばれる「全国高等学校総合文化祭」の準備業務に5年間にわたって駆り出され、「教員としても人間としても一番成長できたはずの時期を無駄にした」と振り返る。いったい何があったのか。
【エピソード募集中】本連載「教員のリアル」では、学校現場の経験を語っていただける方を募集しております(記事は仮名、詳細は個別取材)。こちらのフォームからご記入ください。
投稿者:白木早紀(仮名)
年齢:35歳
勤務先:公立高校
教えたくて教員を志したのに、担任から外された
白木さんは、小学生の頃から先生になりたいと考えていた。夢をかなえて公立高校の教員になってからは、熱心に授業研究を行い、県の研究会でも積極的に発言するなど教育に情熱を注いできた。
職場環境にも不満はなく、充実した教員生活。それを一変させたのが、「文化部のインターハイ」と呼ばれる全国高等学校総合文化祭(以下、総文祭)だ。文化系部活動の主顧問をしていた白木さんは、総文祭事務局の一員に選ばれることになった。
「以前から噂で、『総文祭の開催都道府県で文化部の顧問をしている教員は、準備に駆り出される』と聞いていました。多少は覚悟していましたが、いざふたを開けると想像をはるかに超える大変さだったのです。開催までの5年間、準備業務による時間外労働は年間900時間オーバーでした。体力的にも夜遅く残るのは厳しかったので、朝早く出勤するスタイルでしたが、ピーク時は朝3時に学校に来ていたこともあります」
「まるで、教員と総文祭準備のダブルワークだった」と振り返る白木さんだが、総文祭準備には手当が出ない。その後もサービス残業を重ねる日々が続いた。しかも、開催年が近づくにつれて総文祭業務のウェイトは増し、次第に授業研究をする時間がなくなるなど「本業」に影響が出始める。そしてついに、学校業務からも引き剥がされてしまう。
「開催年は『総文祭準備に専念してほしい』と言われ、授業ができなくなりました。教員なのに子どもたちを教えることができず、担任からも外されたのです。それでも、総文祭業務は基本的にデスクワークなので、勤務校には通い続けていました」
白木さんにとって、総文祭の準備は望んだ仕事ではない。そもそも文化系部活動の顧問も、「どうせどれかは担当しないといけないから」と、仕方なく引き受けたにすぎなかった。大切にしていた「教育」の仕事を、本意ではない業務に奪われたことで、白木さんの心は悲鳴を上げ始めた。
「総文祭業務に専念し始めた頃から、突然涙が出てくるようになりました。ちょっと変だなと思いつつも、私はやり切らないと気が済まない性分なので、『自分がやるしかない』としか思えなかったんです。でも、家族から『さすがに最近おかしい。病院に行くべき』と強く言われ、ようやく心療内科を受診しました。そこで、うつ病と適応障害と診断されました」