プロ野球・巨人軍の選手、監督として活躍し、「ミスタープロ野球」と呼ばれた長嶋茂雄・巨人軍終身名誉監督が3日、亡くなった。89歳だった。現役時代は巨人軍のV9時代に「4番・三塁」として背番号3はまばゆい輝きを解き放った。
プロサッカー、Jリーグが開幕した1993年に2度目の監督に就任すると、低迷が懸念された野球人気を再び押し上げた。後に米大リーグでも活躍した松井秀喜氏を熱血指導し、最大11.5差を逆転してリーグ優勝を飾った96年の「メークドラマ」などで盛り上げた。
昭和、平成、令和の時代を生き、戦後の日本において、野球を国民的娯楽へと押し上げた時代の立役者だった。
輝かしい記録と記憶を残した選手時代
6月3日の朝に悲報が流れると、テレビ報道も、夕刊各紙もネット報道も、長嶋さんに関する追悼などの記事が駆け巡った。日本テレビは同日午後7時から、追悼番組「緊急特番 ありがとう長嶋茂雄さんミスタープロ野球 永遠に…」を生放送した。
巨人の現役時代に「ONコンビ」として長嶋さんと活躍した王貞治氏(ソフトバンク球団会長)が「日本球史に燦然と輝く長嶋さんが闘病生活の末、旅立たれてしまったことを本当に残念に思います。一緒に野球ができたことを本当に感謝しています。今は只々心よりご冥福をお祈りします」などと追悼のコメントを発表。海の向こうの米大リーグからは、この日に23号本塁打を放ったドジャースの大谷翔平選手が自身のインスタグラムを更新し、ツーショット写真とともに「心よりご冥福をお祈りいたします」と綴った。
千葉県出身の長嶋さんは立教大学で東京六大学のスター選手として活躍した後、巨人に入団。デビュー戦で通算400勝左腕の金田正一投手から4打席4三振を喫したが、1年目から打率3割をマークし、29本塁打、92打点で本塁打、打点の二冠に輝いた。翌59年には「天覧試合」で阪神・村山実投手から劇的なサヨナラ本塁打を放った。
巨人戦はテレビで全国中継され、長嶋さんはV9を達成する常勝軍団の「4番・三塁」としてお茶の間の人気を博した。勝負強い打撃だけではなく、豪快な空振りでヘルメットを飛ばすシーンが絵になった。守備では華麗なフィールディングでファンを沸かせた。そのプレーは野球少年のあこがれであり、年代にかかわらず人々を魅了した。