2015年6月6日、北海道砂川市で発生した飲酒運転事故は、一家5人の命を奪う極めて悲惨な結果となり、日本社会に大きな衝撃を与えた。飲酒し、時速100キロ超で「レース」走行していた加害者2人。前編に続き、本稿(第2回)では、彼らが事故に至るまでの飲酒・危険運転の常態化、そして一人の加害者の複雑な生い立ちに迫り、悲劇の背景を探る。
飲酒・危険運転の常態化:地元住民が語る「いつか事故になる」予感
地元住民が長年懸念していたのは、加害者2人の飲酒運転や危険な運転が日常化していたことだ。ある住民は、「いつか事故になるなと思っていた」と語る。彼らは友達とつるみ、Tの実家の前で頻繁にバーベキューをして酒を飲んでいた。驚くべきことに、事件当日の夕方もそうだったという。酒を飲んで赤ら顔のまま、平然と運転して買い出しに出かける。時には、缶ビール片手に運転している姿さえ目撃されていた。さらに、5年ほど前から国道を猛スピードで走り回るようになり、ハンドルを握ると人が変わったように信号無視を繰り返すなど、無謀な運転は当たり前だった。こうした行為を注意する住民もいたが、彼らは聞く耳を持たなかったという。飲酒と危険運転が常態化し、地元では「有名なワル」として知られる存在だったことが伺える。
砂川飲酒事故の加害者が事故直前まで飲酒していた飲み屋街の様子
加害者Kの複雑な家庭環境:頼る人を失い続けた生い立ち
一方、加害者の一人であるKについては、その複雑な家庭環境が指摘されている。幼い頃に両親が離婚し、父親の実家がある砂川に移り住んだ。年の近い姉も一緒だった。父親は別れた母親への未練から、彼女を説得に行ったものの、無理心中で亡くなってしまう。Kがまだ10歳くらいの頃の出来事だった。その後、祖母に育てられるが、3年と経たないうちに祖母も死去。さらに、心中した父親の弟、つまりKの叔父が実家に転がり込んできたが、彼は仕事もせず、酒浸りの日々を送り、子供たちに手をあげるような始末だったという。住民は、Kには気の強いところがあったが、それは立て続けに頼れる身近な存在を失っていったことの裏返しではないかと見ている。困り果てた状況で、姉の結婚話が持ち上がり、Kは姉の新居に身を寄せた。こうした複雑な生い立ちは、彼のその後の行動に何らかの影響を与えた可能性も否定できない。
地元住民が長年懸念していた飲酒・危険運転の常態化、そして加害者の一人が抱えていた複雑な過去。これらの要素が複合的に絡み合い、あの日、一家5人の命を奪う砂川飲酒事故という最悪の結果を招いた。この悲劇は、加害者たちの無責任な行動だけでなく、その背景にも目を向ける必要性を示唆している。
[参照] 週刊新潮 2015年6月25日号 記事を再編集