かつて、東京駅から西を目指す旅には、様々な寝台特急が活躍していました。1980年代まで、いわゆる「ブルートレイン」と呼ばれた青い客車の列車が、夜の長い旅を彩っていたのです。多くの路線に直通する寝台特急は、鉄道旅行の一つの象徴でした。1975年11月号の時刻表復刻版を見ると、東京駅を16時30分に出発する長崎・佐世保行きの「さくら」を筆頭に、16時45分発の西鹿児島行き「はやぶさ」、17時発の熊本・長崎行き「みずほ」、18時発の西鹿児島行き「富士」、18時20分発の浜田行き「出雲」、18時25分発の博多行き「あさかぜ1号」などが連日運行されていました。さらに、19時発の下関行き「あさかぜ2号」、19時25分発の高松行き「瀬戸」、20時40分発の紀伊勝浦行き「紀伊」、そして「紀伊」に連結された米子行き「いなば」が存在しました。このほか、寝台急行として22時45分発の大阪行き「銀河」もあり、臨時列車が走る日もありました。これらの列車は「ブルートレイン」として人気を集め、「ブルートレインブーム」と呼ばれる現象を巻き起こしました。
ブルートレインの代表格、寝台特急はやぶさ
ブルートレインの代表格、寝台特急はやぶさ
さくら、はやぶさ、みずほ、富士、出雲、あさかぜ1号・2号といった主要な列車には食堂車も連結され、旅の楽しみを深めました。のちに、富士やはやぶさには個室寝台車も連結されるようになり、プライベートな空間でより快適に過ごせることから、特に高い人気を誇りました。中でも、東京と九州を結び24時間以上をかけて運行された寝台特急富士は、その長大な距離と旅情で鉄道ファンの注目を集めていました。
ブルートレイン人気の衰退と相次ぐ廃止
しかし、1980年代後半に入ると、これらの寝台特急を取り巻く状況は大きく変化します。新幹線網の拡大や航空機、高速バスといった代替交通機関の台頭により、長距離夜行列車としての優位性が失われ、人気は徐々に衰退していきました。それに伴い、採算性の悪化なども進み、多くの列車が統合、あるいは廃止の道を辿ることになります。かつて広範なネットワークを誇ったブルートレインは次々と姿を消し、最終的には出雲と瀬戸のみが、後述の電車化を経て存続する形となりました。
寝台特急ブルートレイン廃止の年代記
以下は、主要な寝台特急ブルートレインの廃止や統合が進んだ歴史を辿る年表です。時代の流れとともに、多くの列車がその役目を終えていきました。
1978年:「いなば」を「出雲」に統合、東京駅~出雲市駅間に延長
1980年:「富士」を東京駅~宮崎駅間に短縮
1984年:「紀伊」廃止
1994年:「みずほ」廃止
1994年:「あさかぜ」2往復のうち東京駅~博多駅間1往復を臨時化
1997年:「はやぶさ」を東京駅~熊本駅間に短縮
1997年:「富士」を東京駅~大分駅間に短縮
1998年:「出雲」客車1往復を電車化、伯備線経由「サンライズ出雲」に変更
1998年:「瀬戸」を電車化、「サンライズ瀬戸」に変更
1999年:「はやぶさ」「さくら」を車両数削減の上併結
2000年:「あさかぜ」東京駅~博多駅間廃止
2002年:「はやぶさ」「さくら」を車両数削減
2005年:「あさかぜ」東京駅~下関間廃止
2005年:「さくら」廃止、「はやぶさ」は「富士」と併結
2006年:「出雲」客車1往復廃止
2008年:「銀河」廃止
2009年:「はやぶさ」「富士」廃止
廃止の背景にある理由
これらの寝台特急が廃止された主な理由として、複数の要因が挙げられます。記事では、その理由が主に3つあると述べています。競争の激化、設備の老朽化、そして利用率の低下などが複合的に影響したと考えられますが、個々の列車や時期によってその比重は異なりました。
時代の終焉、そして現在
かつて日本の長距離鉄道輸送の一翼を担い、多くの人々の旅愁を誘った寝台特急ブルートレインは、2009年の「はやぶさ」「富士」廃止をもって、その栄光の歴史に幕を下ろしました。多くの列車が姿を消す中で、唯一「サンライズ出雲・瀬戸」が現代の快適な寝台列車として運行を続けています。ブルートレインが日本の夜を駆け抜けた時代は終わりましたが、その雄姿と旅情は、今も多くの人々の記憶の中に鮮やかに残っています。