附属池田小事件:報道編集者が語る惨劇とメディアの葛藤

2001年6月、大阪教育大学附属池田小学校で発生した児童殺傷事件は、日本社会に大きな衝撃を与えました。特に報道の現場では、耐え難いほどの凄惨な事件に直面しながらも、冷静な判断とスピードが求められました。放送に追われる中で、心の中に積もり積もったものがあふれ出し、精神的に追い詰められる編集者も少なくありません。この附属池田小学校事件も、多くの報道関係者にとって非常につらい出来事でした。

事件発生、映像編集の現場で見たもの

事件の一報が入ったのは2001年(平成13年)6月8日午前でした。「小学校に男が乱入し、多数のけが人が出ている」という情報に、報道部は騒然となりました。その後、次々に送られてくる情報と映像は悲惨なものでした。

最初に入ってきた映像はヘリコプターからのものでした。校舎に横付けにされた救急車に次々と担架が運び込まれており、その中には、救急隊員が幼い子どもに心臓マッサージをしている姿も映っていました。「心肺停止になっている子どもがいるのか!」と、映像を見ながら驚きとショックを受けました。今でもその光景が鮮明に頭に焼き付いています。

現場は大阪府池田市にある大阪教育大学附属池田小学校。午前10時を少し過ぎて、2時間目がそろそろ終わりを迎えていた頃でした。小学校の通用門から、出刃包丁と文化包丁の入ったビニール袋を手にした男が校内に侵入したのです。

附属池田小学校事件の報道映像編集に臨む編集者の視点附属池田小学校事件の報道映像編集に臨む編集者の視点

男はまず2年南組に押し入り、5名の児童を包丁で突き刺し、続いて西組に向かい、次々と無差別に児童に襲い掛かりました。恐怖にかられて逃げる子どもたちを追い回し、止めに入った教員にも刃を向けました。

この凶行によって、1年生男子児童が1名、2年生女子児童7名の計8名の尊い命が奪われました。さらに、他に13名の児童と2名の教員が重軽傷を負いました。事件発生直後、犯人である宅間守は駆けつけた警官に現行犯逮捕されました。

報道を揺るがせた「精神障害」の問題

逮捕直後、犯人である宅間守の顔写真はすぐに手配され、大慌てで編集作業にかかりました。しかし、直後に犯人が精神科に通院した履歴や入院歴があったことが判明すると、報道は急遽匿名に切り替えられました。顔写真の使用は差し止められ、私たちは急いで編集をやり直すことになりました。

附属池田小学校事件の犯人、宅間守元死刑囚の航空自衛隊時代の写真附属池田小学校事件の犯人、宅間守元死刑囚の航空自衛隊時代の写真

その後、大阪府警は犯人の刑事責任は問えるという判断を下します。これを受けて、マスコミはこの時点で再び実名報道へと切り替えました。編集では、再度顔写真の準備をすることになりました。顔写真を使用するタイミングは報道デスクの判断によりますが、私たち編集者は、即座に放送に出せるように可能な限りのスタンバイをしています。

殺人事件などで加害者に精神障害が疑われるような場合、その事実をどのように伝えるかは非常にデリケートで、十分に気をつけなくてはなりません。通院歴や入院歴の報道が先行しすぎると、精神障害が事件の唯一の原因であるかのような誤った印象を社会に与え、精神障害者への差別や偏見を助長してしまう可能性があるからです。

実際にこの事件の報道に対して、「精神病者はみな危険という画一的なイメージ(=偏見)を助長してしまう」という懸念を、全国精神障害者家族会連合会が報道機関に対して表明しました。これまで何気なく“精神障害”という言葉を報道で使ってきた私たちも、この問題提起を受けて、いかに慎重に、そして正しく伝えるべきか深く考えさせられる難しいテーマだと痛感しました。

附属池田小学校事件は、多くの幼い命が理不尽に奪われた痛ましい悲劇であると同時に、報道の現場で働く者にとって、事件の事実を伝えることと、センシティブな背景情報をどう扱うかという、重い課題を突きつけられた忘れられない事件です。事件の衝撃は今なお多くの人々の心に刻まれています。

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