スズキ「カプチーノ」伝説:バブルが生んだ魅惑の軽FRスポーツと復活の可能性

1980年代後半から始まったバブル景気は、日本の自動車産業にも大きな影響を与えた。好景気を背景に、軽自動車においても高性能化や高機能化への流れが一気に加速したのだ。そのような時代背景の中で、1991年に登場し、一世を風靡したのがスズキの軽2シーターオープンスポーツ「カプチーノ」である。徹底した軽量化ボディとトルクフルなターボエンジンを組み合わせたフロントエンジン・リアドライブ(FR)レイアウトは、当時の軽自動車としては異例であり、多くの自動車ファンの注目を集めた。

スズキ カプチーノのフロントビュー。バブル期を象徴する軽FRオープンスポーツ。スズキ カプチーノのフロントビュー。バブル期を象徴する軽FRオープンスポーツ。

「ABCトリオ」:バブル期が生んだ軽スポーツカー群

1980年代のバブル景気の勢いは、高級スポーティ車である「ハイソカー」ブームを生んだだけでなく、軽自動車の高性能化も促進した。その頂点として、1990年代初頭には3台の個性的な軽スポーツカーが相次いでデビューした。これらはそれぞれの車名のイニシャルを取り、「ABCトリオ」と呼ばれ親しまれた。

  • “A”:マツダ オートザム「AZ-1」(1992年9月~)
    軽自動車としては唯一無二のガルウイングドアを装備したことが最大の特徴。ミッドシップ(MR)レイアウトを採用し、前後重量配分を44:56とすることで、俊敏なハンドリングを実現した。
  • “B”:ホンダ「ビート」(1991年5月~)
    ABCトリオの先陣を切って登場した、軽自動車初のMR2シーターオープンスポーツ。MRらしい鋭いハンドリングと、高回転まで気持ちよく吹け上がる自然吸気(NA)エンジンの伸びやかな走りが多くのファンを魅了した。
  • “C”:スズキ「カプチーノ」(1991年10月~)
    今回の主役であり、軽乗用車としては珍しい2シーターのFRオープンスポーツ。軽量ボディとターボエンジンの組み合わせによる力強い走りが最大の魅力だった。

軽量FRボディと力強いターボエンジン:スズキ カプチーノの特徴

スズキ カプチーノが初めて一般に披露されたのは、バブルの絶頂期である1989年の東京モーターショーだった。スズキはこのショーでの反響を見て市販化を決定するとアナウンスしており、予想を大きく上回る好評を得たことから市販化が実現した。ショーでの展示から約2年の時を経て、1991年11月にカプチーノは正式に市場へ投入された。

カプチーノは、FRスポーツの伝統的なスタイルであるロングノーズ・ショートデッキの2シーターオープンスポーツとして設計された。その設計思想の中心には、スズキが得意とする徹底した軽量化があった。ボンネット、リアパネル、フロアトンネルカバーなど、可能な限りの部位にアルミや高張力鋼板といった軽量素材を採用。その結果、ABCトリオの中で最も軽い車重700kgを達成している。

パワートレインには、アルトワークスで実績のあった最高出力64ps、最大トルク8.7kgmを発揮する660cc直列3気筒DOHCインタークーラーターボエンジンと5速マニュアルトランスミッションが組み合わされた。エンジンをフロントミッドシップとして縦置きに配置するFRレイアウトと、51対49という理想に近い前後重量配分により、軽快かつ力強い走行性能を実現した。

ユニークな「4ウェイ・オープントップ」ルーフ

カプチーノのルーフは、単なるソフトトップではなく、「4ウェイ・オープントップ」と呼ばれる非常にユニークな機構を備えていた。これは、ルーフ部分を3つのピースに分割可能なハードトップ構造とすることで、ユーザーはクーペ、Tバールーフ、タルガトップ、そしてフルオープンの4種類のスタイルを自由に選択して楽しむことができる優れた装備だった。これにより、一台で様々なオープンエアモータリングを体験できたのである。

軽オープンスポーツにおけるBC対決:ビートとの比較

カプチーノが市場に登場する半年前、1991年5月にはホンダが軽自動車初の本格的な2シーターMRスポーツである「ビート」を投入していた。ビートとカプチーノは、同じ軽オープンスポーツでありながら、両社の得意技術と設計思想に基づいた明確な違いがあった。

ビートはMRレイアウトを採用し、コンパクトなオープンボディにサイドの大型エアインテークや手動開閉式のソフトトップ、低いフロントノーズなどでスポーツカーらしいアグレッシブなスタイルを特徴とした。

一方、カプチーノはエンジン縦置きのベーシックなFRスポーツとして、ロングノーズ・ショートデッキのクラシカルなスタイリングを採用。ビートよりも70kgも軽い軽量ボディが大きなアドバンテージだった。

エンジン特性にも違いが見られた。カプチーノはターボチャージャーによる太い中低速トルクを活かし、実用域での扱いやすさと力強い加速感を重視したパワフルな走りを実現していた。

対するビートは、ターボを持たず、ホンダの伝統である高回転・高出力型のNAエンジンを採用。最高出力はカプチーノと同じ64psながら、その発生回転数は8100rpm(カプチーノは6500rpm)と高く、最大トルク発生回転数も7000rpm(カプチーノは4000rpm)と高回転寄りだった。これにより、NAエンジンらしいリニアなレスポンスと、回転上昇に伴って伸びていくスポーティな吹け上がりが特徴だった。

カプチーノは、ビートのような高回転域での伸びやかな走りとは異なり、日常域でも運転しやすいトルクフルで余裕のある走りを体感できるスポーツモデルとして位置づけられていた。設計思想は全く異なっていたが、どちらのモデルもそれぞれの「走る楽しさ」があり、熱心なファンに支持され続けた。

ちなみに、カプチーノの新車車両価格は145.8万円、ビートは138.8万円だった。当時の大卒初任給が17.3万円程度(現在は約23万円)であったことを考慮すると、単純計算でカプチーノは現在の価値で約185万円に相当し、決して安価ではなかった。

バブル崩壊とスポーツカー市場の冷え込み:生産終了へ

残念ながら、カプチーノとビートの発売時期はバブル経済の崩壊と重なってしまった。これにより日本の経済状況は大きく変化し、スポーツカー市場全体が冷え込むことになった。このような背景もあり、カプチーノは1998年に、ビートは1996年に、いずれも一代限りで生産を終えることとなった。高性能で個性的な軽スポーツカーの時代は、短期間で終わりを迎えたのである。

カプチーノ復活の噂?ホンダはどう動くか

生産終了後も、カプチーノの復活に関する噂は幾度となく囁かれてきた。そして現在、2026年にも復活するのではないかという、比較的確度の高い情報が流れている。噂される新型カプチーノは、従来の軽規格からボディサイズを拡大し、1.3L直列3気筒DOHCターボエンジンを搭載したライトウェイトFRスポーツとなる可能性が指摘されている。多くのファンがその復活を熱望しており、今後の動向が注目される。

一方、ビートに関しては、直接的な後継モデルではないものの、ビートの生産終了から19年後の2015年に、軽オープンスポーツ「ホンダS660」がデビューした。S660もビートと同じ低重心のMRレイアウトを採用したが、エンジンはターボを搭載している点でビートとは異なる。久々の軽スポーツとして人気を集めたが、惜しまれつつも2022年3月に生産を終了した。現在でもその人気は衰えず、中古車価格が高騰しており、こちらも復活を望む声が大きい。もしカプチーノが復活を果たせば、ホンダがこれに対しどう動くのか、という点が自動車ファンの間で大きな関心事となるだろう。

カプチーノ誕生の年、1991年はどんな年だったか

スズキ カプチーノが誕生した1991年は、自動車業界だけでなく日本社会全体にとっても大きな出来事が多かった年である。自動車関連では、前述のホンダ ビートの他に、三菱の2代目「パジェロ」や、米国で生産され日本へ逆輸入されたホンダ「アコードU.S.ワゴン」などが誕生している。

2代目パジェロは、本格的なオフローダーとしての性能を持ちながらも、初代よりも洗練された都会的なスタイリングとなり、大ヒットを記録。日本にRV(レクリエーショナル・ビークル)ブームを巻き起こす牽引役となった。アコードU.S.ワゴンは、4代目アコードをベースとしながらも、企画から生産まで全て米国で行われた本格的な現地生産車であり、日本市場にも投入されて人気を獲得した。

モータースポーツの世界では、マツダのロータリーエンジン搭載マシン「787B」が、日本の自動車メーカーとして初めてル・マン24時間耐久レースで総合優勝を飾るという歴史的な偉業を成し遂げている。

一方で、この年はバブル経済の崩壊が本格的に始まり、それまで隆盛を極めた高性能スポーツカーや高級スポーティセダンの時代が終わりを迎えつつあった。日本の自動車メーカーにとっては、大きな転換期を迎えることになった年でもあったのだ。

自動車以外の社会情勢に目を向けると、「101回目のプロポーズ」や「東京ラブストーリー」といったトレンディドラマがテレビ放映を開始し、大きな社会現象となった。当時の物価としては、ガソリンが1リットルあたり約127円、ビール大瓶が約320円、喫茶店のコーヒー一杯が約360円、ラーメンが約455円、カレーライスが約600円、アンパンが約100円程度であり、現在の物価と比較すると興味深い。

まとめ:日本の歴史に残る軽FRスポーツ

長いフロントノーズにターボエンジンを縦置き搭載したFRスポーツというパッケージは、当時の軽自動車としては非常に珍しい存在だった。スズキ カプチーノは、小型軽量なボディとFRレイアウトならではの操る楽しさを、手軽な軽自動車というフォーマットで実現した点で画期的だった。バブル景気の時代が生んだこの魅惑的な軽スポーツは、そのユニークな存在感と走りの魅力によって、日本の自動車史に確固たる地位を築いている一台であることは間違いないだろう。

参考資料

  • 三栄書房刊行:スズキ カプチーノのすべて、軽自動車のすべて、ホンダS660のすべて、オートザム AZ-1のすべて、ホンダ ビートのすべて、スズキのすべて
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