オウム真理教事件から30年:地下鉄サリン事件、松本麗華、そして新しいドキュメンタリー映画

公共施設で今なお見かける「オウム真理教とは? 事件を風化させない」という警視庁のポスター。1995年3月20日に新興宗教団体・オウム真理教が都内の地下鉄で無差別殺人を目的とした「地下鉄サリン事件」を起こしてから、間もなく30年が経とうとしています。2018年には教祖・麻原彰晃を含む13人の死刑囚の刑が執行されましたが、その衝撃を直接体験した人々の記憶が薄れることはありません。特に、教祖の三女であり、幼くして「アーチャリー」と呼ばれた松本麗華さんは、社会からの厳しい視線の中で自身の人生を歩んでいます。

オウム真理教の麻原彰晃死刑囚。事件の記憶を風化させないためのポスターが今も公共施設で見られる。オウム真理教の麻原彰晃死刑囚。事件の記憶を風化させないためのポスターが今も公共施設で見られる。

父の死刑執行と世間の反応

麻原彰晃死刑囚の刑は、2018年7月6日に執行されました。死刑囚本人やその家族に事前に執行が知らされることはなく、執行の事実はその日の昼過ぎに法務省から発表され、多くの場合はテレビのニュース速報で知ることになります。松本麗華さんも、テレビ中継を見ていた友人からのメッセージで父の死を知ったといいます。肉親を亡くしたにも関わらず、父が多くの被害者を出した事件の首謀者であることから、悲しみを公に表現することは許されませんでした。死刑執行直後から、SNS上では彼女個人に対する激しいバッシングの言葉が溢れました。

被害者遺族との歴史的な対話

ドキュメンタリー映画『それでも私は Though I’m His Daughter』は、松本麗華さんの苦悩と葛藤、そして再生への道のりを描いています。映画の大きな焦点の一つは、2018年2月に行われた保険金殺人事件で弟を奪われた原田正治氏と麗華さんの対話です。原田氏は、オウム真理教とは直接関係のない事件の被害者遺族ですが、「あれだけの逆境の中を若いのに自分の信念だけを捨てず力強く生きてきた彼女をこの目で実感しようと思った」と語り、対話を申し出ました。加害者家族と被害者遺族という、通常では相容れない立場にありながら、二人は事件によって人生を大きく変えられた「当事者」同士として、互いに真実を知りたいという思いを共有し、共感し合います。この対話は、想像を絶する苦しみや悲しみを抱える両者が、どのように向き合い、生きていくのかを問いかけます。

ドキュメンタリー作家・長塚洋監督の視点

この映画を監督したのは、ジャーナリストでありドキュメンタリー作家の長塚洋氏です。長塚監督は、テレビ局で事件取材に長年従事し、オウム事件の一斉検挙やその後の裁判報道にも深く関わってきました。犯罪を繰り返す高齢者の更生を記録した『生き直したい』(2017)で坂田記念ジャーナリズム賞を受賞するなど、人間の内面に迫るドキュメンタリーで知られています。死刑制度を主要なテーマの一つとしており、2022年にはオウム事件の死刑執行を扱ったドキュメンタリー映画『望むのは死刑ですか オウム“大執行”と私』も監督しています。長塚監督の、事件報道に携わった経験と、人間の罪や罰、更生といったテーマへの深い洞察が、『それでも私は Though I’m His Daughter』における松本麗華さんの姿を多角的に描き出しています。

終わりなき苦難と前進

社会からの絶え間ない差別や偏見に晒されながらも、松本麗華さんは自身の本名を明かし、半生を綴った手記『止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記』(2015年)を発表するなど、過去と向き合い、前に進もうとしています。映画は、彼女が抱える想像もできないほどの苦しみや悲しみ、そしてそれでも生き抜こうとするその真っ直ぐな強さを映し出します。オウム真理教事件は過去のものではなく、今なお多くの人々の人生に影を落とし、社会に問いを投げかけ続けている現実を、この映画は改めて私たちに突きつけます。