「こうのとりのゆりかご」第1号・宮津航一さんが語る出自と里親との絆

熊本の慈恵病院が2007年に開設した「こうのとりのゆりかご」は、親が育てられない子どもを匿名で預かる「赤ちゃんポスト」として知られています。2021年には内密出産も開始され、社会的な関心は高まる一方です。その「こうのとりのゆりかご」開設初日に第1号として預けられた宮津航一さん(21歳)に、当時の記憶から里親家庭での暮らし、そして社会への思いを聞きました。

「こうのとりのゆりかご」第1号として

当時3歳だった宮津航一さんは、「こうのとりのゆりかご」開設初日の2007年5月10日に預けられました。宮津さんにはそれ以前の記憶はほとんどないものの、扉のこうのとりの絵は鮮明に覚えているそうです。病院側は乳児を想定していたため、3歳という年齢に驚いたといいます。預けられた時、宮津さんはアンパンマンの青いジャージを着て保育ベッドに座っており、服と靴が添えられていましたが、出自を示す物は何もありませんでした。

慈恵病院のこうのとりのゆりかご開設初日に預けられた、当時3歳だった第1号の宮津航一さん(21歳)慈恵病院のこうのとりのゆりかご開設初日に預けられた、当時3歳だった第1号の宮津航一さん(21歳)

児童相談所での日々

「こうのとりのゆりかご」からすぐには里親宅に行かず、宮津さんは受け入れ先が見つかるまでの約半年間、市の児童相談所で過ごしました。児相のプレイルームで、現在の父と初めて会ったことを覚えています。それは顔合わせだったのでしょう、遊んでいた宮津さんを父が呼び寄せ、膝の上に乗せてくれたのが最初の出会いでした。

里親家庭「宮津家」との出会い、成長、そして養子縁組

児童相談所を経て、宮津さんは里親である宮津さん一家へ引き取られました。両親には5人の息子がおり、宮津さんが加わっていきなり大家族の一員となりました。引き取られた当時はすでに家を出て暮らしている兄もいましたが、兄たちや他の里子と共に、毎年様々な場所へキャンプに行くなど「家族の絆づくり」の旅行を楽しみました。その旅行は今も続いており、宮津さんにとってかけがえのない楽しい思い出となっています。宮津さんは、受け入れ当初から「家族」として温かく迎えられたことに深く感謝しており、4年前に正式な養子縁組により戸籍上も親子となりました。

「こうのとりのゆりかご」開設初日に預けられた第1号である宮津航一さんは、幼いながらも鮮明な記憶を持ち、児童相談所を経て、温かい里親家庭で成長しました。実の親子と変わらない愛情を受け、強い家族の絆を築いた宮津さんの経験は、「赤ちゃんポスト」や内密出産といった仕組みが、子どもたちの未来を守る上でいかに重要かを示唆しています。自身の出自と向き合いながら社会に発信する宮津さんの言葉に、今後も注目が集まるでしょう。

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