【転換への挑戦】元首相 中曽根康弘 母性愛は友愛より強し

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【転換への挑戦】元首相 中曽根康弘 母性愛は友愛より強し


 鳩山内閣が出現して5カ月、交代・転換という名の下に、新政権は自民党に代わって新しい時代に挑戦する姿勢を示してきた。唱えるところの政治主導、官僚制打破はある程度実行されつつある。

 鳩山由紀夫首相は先般の施政方針演説で自己の生命哲学に基づくある理想主義をもって、従来の自民党の長期間にわたる政策の結果を狙い撃ち的に転換し、例えば予算の公開的仕分け、子ども手当の実施等で新政策を示してきた。

 しかし最近、首相や民主党の小沢一郎幹事長をめぐる「政治とカネ」の問題が生起し、首相・小沢氏の秘書ら計5人が起訴され、政局は混迷してきた。内閣の弱点が指摘され、指導力の欠落、外交の不安定、社会格差の拡大や失業無策が批判される中、2人に膨大な政治資金が動いていたことが明るみになり、背後にある広範な灰色部分に国民的疑念、政治に対する不信は増大しつつある。新政権は政治主導による、いわゆる行政の大掃除などと唱えてきたが、逆に自らが一掃される局面にある。

 目下論戦の焦点にある2、3の問題について所見を述べたい。

 まず米軍普天間飛行場移設問題である。

 首相は5月を期限として、新地点を決定すると対米約束、国民公約を言明してきたが、移転先とされていた沖縄県名護市の市長選で移設反対派が当選した。また、首相自身が県内の他の地点または県外を選定する発言もする。連立与党内の県外または国外移転論もある。首相は連立維持に腐心しつつ、米国との約束、国民への公約は内閣の重い負担となっている。このまま推移すれば、移設先は県内外とも極めて難しく、約束していた5月までに実現することはかなり困難である。

 既設の基地に併用移転するのが次善の策であろうが、地元住民の反対を説得することは現状では至難の業である。内閣は現行案を遂行しようとすれば、連立相手を説得するために他の分野で大幅な譲歩をせざるを得ない状況にある。

 このような不安定な状況で時間が推移していけば、5月には連立に忠ならんとせば日米に孝ならず、内閣の危機が出現する。政権発足当時に出された従来の自民党の政策をひっくり返す方針は、対象の性質や重要性により柔軟な判断で対処しなければならないものもある。特に外交関係においては、しかりである。

 次に大切なことは、「政治とカネ」をめぐる問題である。

 小沢氏の秘書らが起訴されたことで一応、一件落着の雰囲気が政界の一部にあるが、今度、検察によって調査され、ジャーナリズムによって報道された広範な内容は、深い霧の淵(ふち)を覗(のぞ)いたごとくである。今回の政治資金事件にあっては、いずれも贈収賄の汚職とは関係なく、単なる政治資金規正法上の処理の問題として決着した。

 首相はといえば、庶民からはかけ離れた金額が母親から数年にわたり贈られたゆえで本人も知らないという。結局、6億円の贈与税で決着したが、まさに「母性愛は友愛より強し」で、恵まれた環境はよほど注意して慎重に行動しないと危ないことを示している。

 小沢氏の場合は重大事件である。起訴された3人の供述は必ずしも全部一致していることはないゆえであるが、政治家が国や国民から与えられている政治資金で不動産を買ってきたことは、国民的嫌悪感をもって迎えられている。国民は、これが検察に発見されなければ蓄財になると即断しているからであろう。

 問題は、政治資金の使用法である。政治資金のあるべき姿、本来の使用方法は、すなわち党運営や政策遂行上の諸経費であるべきだが、そのような筋を離れて、たとえ法規に直接触れない場合でも、個人的欲望や趣味などに転用すれば、倫理性、責任性から外れる。

 毎回この種の事件のたびに一罰百戒的処理が行われてきたが、問題は政治家自身が戦々兢々(きょうきょう)として政治資金の運用に注意を払うことである。届け出ている政治資金の膨大さで政治家の目方を量る悪い習慣があるが、昔から言われている、そして存在していた清貧に甘んじて、政治という聖業に身命を賭(と)する覚悟が必要なのである。

 最後に、八ツ場(やんば)ダムの建設について所見を申し述べたい。

 政府はマニフェスト(政権公約)の通り、八ツ場ダムの建設中止を言明している。しかし、地元の群馬県や関東の関係都県はすでに拠出金も出し、利根川の給水や水害予防を期して、建設継続を主張している。

 一般にダム建設については、地元住民の賛成を得ることは極めて困難な場合が多い。八ツ場ダムも同様で、長年かけて住民を説得し、建設しようとしているものである。純真な住民はすでに家屋を移転し、墓地を移し、職業の転換から、生活体系の変更に苦労と苦心を重ねて、長年かけて建設に賛成したものである。

 その長年の苦心と努力を知らず、一遍の予算節約の判断で突然中止を宣告することは、地元住民の耐えられるところではない。お墓をまた元に戻すのか、仏様は下界は何をしているのかと怒り悲しんでいることであろう。

 ダム建設の問題は、水と土石の操作の問題であるが、住民にとってみれば、人権と家の歴史の問題である。このことを考えたら、もし建設を行うような場合には、少なくとも2、3年の予行期間を設け、十二分の接触と説得を繰り返し、住民と共同体の一員となるくらいの感情が生まれなければ、家や墓を移すことはなかなか難しく、一旦(いったん)移したものをまた元に戻すということは、住居や生活、人権に対するさらなる侵害であると謙虚に考えなければならない。住民の同意が得られない場合にも強行するなどというのは、もっての外である。

 首相は施政方針演説で「いのち」の重要性を指摘し、人間・社会・国家のいのちについて説いている。今までの施政方針演説に前例のないヒューマニズムを「友愛」の名前において説いている。八ツ場ダムの問題の処理は、自ら友愛を主張する首相が乗り出して、大臣や官僚任せきりにしないで、友愛を国民の前に示すときである。

 時代が混迷し、激動し始めているときに当たって、あえて所信を表明した次第である。(なかそね やすひろ)

<2010/02/10(水) 東京本紙朝刊 朝1面掲載>

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