かつて東京の高級住宅街といえば、田園調布や成城といった西側エリアが代名詞でした。長らく揺るがなかったこの常識は、今、大きく変わりつつあります。昭和から平成初期にかけて富裕層の象徴だった「西」から、東京の不動産価値の地図は「東」へと塗り替えられているようです。本記事では、和田真樹氏の著書『晴海フラッグ』をもとに、この変遷を解説します。
東京の閑静な高級住宅街のイメージ写真
東京の不動産価値地図:西から東への潮流
長らく「東京の高級住宅街」として知られてきた世田谷区の田園調布や渋谷区の松濤など「西地域」中心の時代は終わりを迎え、その構図は大きく変化しています。平成後期から令和へかけ、東京の不動産価値の変化は加速。「山の手」が絶対的な人気を誇った時代から、湾岸地域や下町地域が脚光を浴びる時代へとシフトしているのです。
なぜ、このような変化が起こっているのでしょうか。そして、不動産価値の地図を塗り替える要因は何なのでしょうか。
昭和・平成期:西地域中心の高級住宅街
昭和から平成前期にかけて、日本の富裕層が憧れた住宅街は、主に「西地域」に集中していました。具体的には、大田区の田園調布、世田谷区の成城学園前、武蔵野市の吉祥寺などがその代表です。これらの地域は、広々とした邸宅と庭、そして閑静な住環境を特徴とし、多くの著名人や企業オーナーに選ばれてきました。緑豊かさや静けさを重視する文化が、「理想の住環境」とされたのです。
かつての“山の手地域”の共通点
当時の「山の手地域」には、いくつかの共通点が見られました。
- 駅から遠くても問題視されない: 車社会の普及により、駅からの距離より広い敷地や庭が重視されました。
- 私鉄沿線(小田急・東急など)の利便性: 私鉄発展が、都心と郊外を結ぶアクセスを確立しました。
- 富裕層のステータス象徴: これらの地域に居住すること自体が、地位を示すアイコンでした。
では、なぜ“西地域”はこれほど富裕層に選ばれたのでしょうか?
このように、東京の高級住宅街・不動産価値の中心は、伝統的な西側エリアから変化。昭和・平成期には、広大な敷地や環境を重視する富裕層にとって、西地域が特別な選択肢でした。今後の不動産価値推移が注目されます。
出典:和田真樹 著 『晴海フラッグ』(つむぎ書房)