【ワシントン=黒瀬悦成】中曽根康弘元首相は東西冷戦の緊張がピークに達した1980年代に旧ソ連に軍事的に対抗する「日米同盟」の重要性を日本の首相として初めて明確に打ち出した人物として、米国で高く評価されている。
中曽根氏と当時のレーガン米大統領(2004年死去)が築いた信頼関係は、現在に連なる日米の安全保障連携の基盤となった。
中曽根氏が首相に就任した1982年、レーガン政権は日本への不信を募らせていた。直接の要因の一つは、前任の鈴木善幸首相が81年5月、レーガン氏との首脳会談後の共同声明で日米の関係を「同盟関係」と初めて明記したことに関し、「(同盟は)軍事的意味合いは持っていない」と発言したことだ。
レーガン政権は、日本が自由主義陣営の一員として共産勢力と対決する意思に乏しいと失望したが、中曽根氏はレーガン氏と同じ保守政治家として反共主義を鮮明にし、同氏と個人的な絆を結んで日米関係を完全修復させた。米国が日米同盟を「インド太平洋地域の平和と安全、繁栄の礎石」と位置づけるに至ったのも、元はといえば両氏の取り組みがあってこそだ。
両氏が「ロン」「ヤス」と呼び合った蜜月関係は後の日米首脳外交の原型となった。2001年の米中枢同時テロを受けた「テロとの戦い」での息子ブッシュ大統領と小泉純一郎首相、現在のトランプ大統領と安倍晋三首相の関係にみられるように、首脳同士の信頼こそが良好な日米関係を担保する。中曽根氏が残した教えは今も生きている。