アンパンマンの生みの親であり、現在放送中の朝ドラ「あんぱん」のモデルとしても注目を集めるやなせたかしさん。その作品の根底には、彼自身の壮絶な人生経験、特に幼い頃の孤独や弟との別れがありました。この記事では、やなせさんが自著で語った、心に深く刻まれた弟への思いや、思春期の葛藤について紐解きます。
戦死した弟・千尋への複雑な思い
やなせさんには、早くに亡くなった弟の千尋さんがいました。弟に対しては非常に様々な思いがあり、やなせさんは「おとうとものがたり」という一連の詩にその心情を綴っています。その中には、母との別れを詠んだ詩も含まれています。
弟の千尋さんは、とても可愛らしく快活な性格でした。対照的に、やなせさん自身は自分の容姿に自信がなく、人見知りでおまけに強情でひねくれている、子供らしからぬ陰気さを持っていたと言います。また、弟は先に柳瀬家の養子となっていたため、伯父夫婦と同じ部屋で眠り、兄であるやなせさんは玄関横の冷たい書生部屋で寝起きしていました。当時はあまり気にしていなかったものの、子供心に何らかの感情を抱いていたのかもしれません。弟は、やなせさんが戦争から戻った時にはすでに戦死していました。頭脳明晰で京都大学を卒業した後、海軍の特攻隊に志願したのです。弟との思い出は数多くありますが、仲良く過ごした記憶よりも、喧嘩したことの方が鮮明に覚えているものだと語っています。
やなせたかしさんの肖像。文藝春秋のインタビュー時の写真。
孤独と絶望に満ちた思春期
やなせさんを第二の父母として育てた伯父と伯母は、非常に良い人たちでした。やなせさんはいつしか二人を「お父さん」「お母さん」と呼ぶようになり、何不自由なく育てられました。しかし、子供の頃に伯父伯母の深い愛情を完全に理解できていたかと言えば、そうではなかったと振り返ります。たとえ肉親であっても、血の繋がりのない子供を育てることの困難さを、ずっと後になってから痛感し、後悔と申し訳なさを感じています。
心には常に孤独と寂しさがつきまとい、幼少期はともかく、思春期から反抗期にかけては相当荒れてしまい、危険な精神状態にあったと告白しています。毎日、どうしてこれほど涙が出るのか分からないほど泣いていましたが、その具体的な原因は今では思い出せないとのことです。
自ら命を絶とうと考えたこともあります。死のうと夜の線路に横たわりましたが、電車が近づくにつれて恐怖を感じ、慌てて逃げ出したそうです。また、家出しようと、隣の木材所に長時間隠れていた経験もあります。町中の消防隊を中心に捜索隊が組織され、自分の名前を大声で呼びながら探し回る大騒動になり、隠れている場所から出られずに本当に困り果てました。空腹に耐えられなくなり、結局夜中の三時に家に帰ったといいます。
伯父は「よく帰ったな」とだけ言い、伯母は泣き崩れながら「もう二度と𠮟らない」と約束しました。しかし、やなせさんが漫画家として成功した後も、伯母は彼の顔を見るたびに「あのときのタカちゃんは……」と当時の大変さを語り続けたそうです。
若者の自殺と向き合った経験、そして内面の変化
ときおりニュースで少年少女の自殺に関する記事を目にすると、やなせさんは他人事とは思えないと感じます。一歩間違えていれば、自分もあの時死んでいたかもしれないと考えることがあるからです。大人にとっては取るに足らない些細な出来事も、小さな蟻にとってほんの小さな水たまりが生命に関わるほどの重大な危機であるように、子供にとっては深く傷つき絶望に追い込まれてしまうことがあります。そのような経験から、やなせさんは自分が非常に扱いにくく、手のかかる子供であったことを認めています。
ところが、中学校を卒業する頃になると、まるで憑き物が落ちたかのように性格が穏やかになりました。特に兵隊として入隊し、文字通り鍛え直されてからは、温厚な人柄へと変化したのです。伯母もよく「タカちゃんは、ずいぶん変わったね」と話しており、それは昔の手のつけられない状態から比べると、という意味合いだったのでしょう。
結び
弟との死別、家族との複雑な関係、そして孤独と絶望に満ちた思春期。やなせたかしさんの幼少期から青年期にかけての経験は、決して平穏なものではありませんでした。しかし、これらの困難な体験が、彼の内面を深く形成し、後に飢えに苦しむ人々のために自らの顔を与えるヒーロー「アンパンマン」を生み出す原動力の一つとなったことは想像に難くありません。自らの痛みを乗り越え、他者への優しさと正義を追求する姿勢は、彼の波乱に満ちた人生の中で培われたものだと言えるでしょう。