鈴木蘭々さんが語る兄への深い愛情と家族の絆

1990年代中盤に絶大な人気を博したタレントの鈴木蘭々さん(50)が、自身の家族について深く語りました。大きな瞳とショートヘア、天真爛漫なキャラクターで歌手、舞台女優としても活躍し、現在は化粧品ブランドのプロデュースも手掛けるなど多方面で活動しています。今回のインタビュー【前編】では、26歳で逝去した兄への思い、86歳になる母・節子さんの介護、そして自身の結婚観などが語られました。

家族を見守る天使のような存在だったという2番目のお兄様は、1993年に逝去され、32年の月日が経ちました。お兄様には軽度の知的障害があり、彼にしか分からない大変な思いもたくさん経験されたことと思います。

鈴木蘭々さん、インタビューにて家族への思いを語る鈴木蘭々さん、インタビューにて家族への思いを語る

心に残る兄弟のエピソード

鈴木蘭々さんにとって特に印象深いお兄様との思い出がいくつかあります。母親がラーメン店で働いていた頃、23、24歳だったお兄様も一緒にお店を手伝っていた時期がありました。できることは限られていましたが、洗い物や掃除などを懸命に手伝っていたそうです。

ある日、お客さんがいない時間帯にホームレスの方がお店に入ってきました。母親は代金を受け取らずにラーメンを提供しました。その方が食べ終わり、「ありがとうございます」と言ったとき、お兄様が屈託のない笑顔で「またおいで!」と声をかけたのです。母親はこれに非常に驚き、「私はラーメンを出したけれど、あの子のように『またおいで』とは言えなかった」と、家に帰ってから涙したといいます。その話を聞いて、鈴木さんは「お兄ちゃん、すごいなあ」と感じると同時に、母親の純粋さにも感動したそうです。

基本的誰にでも優しいお兄様でした。鈴木さんにはまだおむつが取れていない、よちよち歩きの頃の断片的な記憶がいくつかありますが、その中の一つに兄弟で遊んでいた時のエピソードがあります。近所の私道で夏に遊んでいた時、幼い鈴木さんが「寒い」と言ったそうです。おそらく、覚えたての言葉を言いたかっただけでしょうが、お兄様は「智ちゃん(鈴木さん)が寒がってる!カイロだカイロだ!」と走って家に戻り、ビロードの袋に入った金属製の携帯カイロを持ってきて、鈴木さんに持たせてくれました。もちろん、カイロは温まっておらず冷たいままでした。それでも、幼い妹の言葉にすぐさま反応し、自分ができる最善だと思ったことをしてあげようとするお兄様の優しい気持ちが伝わる思い出です。

兄が残した温かい記憶

鈴木蘭々さんの亡きお兄様は、知的障害を抱えながらも、その純粋さと優しさで周囲の人々に温かい光をもたらす存在でした。ラーメン店での「またおいで!」という言葉や、幼い妹のために一生懸命カイロを持ってきてくれたエピソードは、障害の有無に関わらず、人が持つ根源的な優しさや家族の絆の深さを教えてくれます。彼の残した心温まる記憶は、今も鈴木さんの心の中で生き続けています。

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