かつて2000年代に「ウェカピポ」「Dream Drive」などのヒット曲で若者を魅了した伝説のヒップホップグループ・SOUL’d OUT。その元メンバーであるBro.Hi氏が、現在は東京都羽村市の和食料理店で板前として腕を振るっているという驚きの情報が寄せられました。なぜ彼は音楽の第一線から和食の世界へと足を踏み入れたのか。その理由と、これまでの音楽活動に懸ける情熱について、詳しくお話を伺いました。
音楽シーンから和食の道へ:Bro.Hiの新たな挑戦
Bro.Hi氏が東京都羽村市の和食料理店で板前をしているという噂を耳にし、私たちは早速取材を申し込みました。電話口から聞こえてきたのは、「はい、私ですが」という、落ち着いた丁寧な声。そして、彼が経営する店を訪れると、帽子を取り深々と頭を下げる姿は、SOUL’d OUT時代と変わらぬBro.Hi氏そのものでした。人気絶頂のヒップホップグループの元メンバーが、現在も音楽活動を続けながら板前を務めるという異色のキャリアは、多くの人々の関心を集めています。彼の新たな挑戦と、その背景にある真実に迫ります。
Bro.Hiが板前をする東京都羽村市の和食料理店
音楽との出会い:バンドブームとヒップホップへの道
音楽活動を始めたきっかけについてBro.Hi氏は、「中学生の時にちょうどバンドブームで、音楽が好きだった」と語ります。当時は青春パンクやブラックミュージックも聴いていましたが、ダントツで好きだったのは海外のロックバンド、ガンズ・アンド・ローゼズで、特に「スウィート・チャイルド・オブ・マイン」に感銘を受けたそうです。その後、二十歳を過ぎた頃にバンドでドラムを担当していたものの、バンド活動の難しさに直面。メンバーの多いバンドよりもユニット形式の方が早いと考え、ドラムからボーカルへと自然な流れで転向しました。この転換が、後にDiggy-MO’氏との出会いへと繋がり、SOUL’d OUT結成の重要な一歩となります。
ポーズを決めるBro.Hi
ヒューマンビートボックスの習得:自己流の探求
Bro.Hi氏のパフォーマンスの中でも特に印象深いのが、圧倒的なヒューマンビートボックスのスキルです。その習得方法について尋ねると、「当時は今ほどネットに情報が多くなかったから、少ない情報の中から探したり、CDを聴いて自己流で勉強していた」と明かしました。機材がなくてもライブが成立するというヒューマンビートボックスの利便性に惹かれ、また「やっていて楽しいから」という純粋な理由でスキルを磨き続けた結果、彼独自の表現スタイルが確立されたのです。
結び
SOUL’d OUTのBro.Hi氏が音楽活動を継続しつつ、和食の板前という新たな道を歩むその背景には、音楽への揺るぎない情熱と、変化を恐れない探求心がありました。中学生の頃のバンドブームからヒップホップユニットでの成功、そして現在の板前としての挑戦に至るまで、彼の人生は常に驚きと発見に満ちています。これは彼の多才さと、何事にも真摯に取り組む姿勢を示すものです。次回の後編では、さらに深く彼の料理人としての顔や、音楽活動との両立について掘り下げていきます。
参考文献:
- Yahoo!ニュース (週プレNEWS掲載記事より)