秋篠宮ご夫妻、結婚35周年 知られざる出会いとプロポーズ、婚約会見の肉声

きょう6月29日、秋篠宮ご夫妻は結婚35周年を迎えられました。1990年のご結婚当時、秋篠宮さまは24歳、紀子さまは23歳でした。お二人がどのように出会い、将来を決めたのか。今回は、35年前の婚約内定記者会見での貴重な肉声を通して、その秘話に迫ります。

昭和天皇の喪中に開かれた婚約内定会見

1989年1月7日に昭和天皇が崩御され、まだ喪中の期間でした。その8ヶ月後、9月12日に秋篠宮さま(当時は礼宮さま)と川嶋紀子さん(当時)の婚約が正式に内定し、同日に記者会見が開かれました。

会見にお二人は、秋篠宮さまは濃紺のスーツ、紀子さまも濃紺のワンピースに真珠のネックレスという、落ち着いた装いで臨まれました。会見中は、紀子さまがひざの上に白い手袋を置かれていましたが、お二人は何度も顔を見合わせ、微笑みを交わすなど、終始和やかな雰囲気でした。

1989年9月12日、婚約内定記者会見を終えられた礼宮さま(現秋篠宮さま)と川嶋紀子さん(現紀子さま)。和やかな雰囲気の写真。1989年9月12日、婚約内定記者会見を終えられた礼宮さま(現秋篠宮さま)と川嶋紀子さん(現紀子さま)。和やかな雰囲気の写真。

「話していて楽しい人」「生物をかわいがる姿」

記者から「お互い、どんな点にひかれたのでしょうか」と尋ねられると、お二人はそれぞれ次のように答えています。

秋篠宮さまは「以前にもお話ししたことがございましたが、話をしていて楽しい人。また、どことなく愛きょうがあるというか……」と述べられました。

紀子さまは「生物、例えば御所内で飼ってらっしゃるナマズやアヒルなどをかわいがっておられるお姿や、熱心に魚類を研究しているお姿に強くひかれました。タイのお酒、メコンに誘われるまま、先生やお友達と語り合い、またギターを弾かれたりするご様子、そんなところにひかれました」と、具体的なエピソードを交えて語られました。

さらに秋篠宮さまは、「付け加えると、(紀子さんは)非常に話題が豊富な方じゃないかと思っております」と、紀子さまの知的な一面にも言及されました。

「私と一緒になってくれませんか」プロポーズ秘話

「ご結婚を決意されたのは、いつごろでしたか。礼宮さま(当時)からのプロポーズのお言葉と、紀子さんのご返事は」という記者からの質問に対し、お二人は率直に語られました。

秋篠宮さまは「決意は、だんだん、徐々に、そういう方向に固まっていったというところでしょうか」と、自然な流れであったことを示唆されました。紀子さまも「私も礼宮さまと同じく、徐々に気持ちを整理して参りました」と、同じ心境であったことを明かされました。

そして、多くの人が関心を寄せたプロポーズの言葉について、秋篠宮さまは「プロポーズは……そうですね、確か昭和61年の6月26日だったと思いますけれども、『私と一緒になってくれませんか』と話した記憶があります」と、具体的な日時と言葉を述べられました。対する紀子さまのご返事は「私は『よく考えさせていただけませんか』と申し上げました」という、慎重ながらも誠実なものでした。

留学・喪中中の公表、両陛下の反応

当時、秋篠宮さまはイギリスのオックスフォード大学大学院に留学中であり、昭和天皇の喪中という状況でした。記者から「現在、(昭和天皇の)喪中で、ご自身も留学中のお立場ですが、そういう時のご婚約決定をどうお考えになりますか。両陛下から反対はございませんでしたか」という質問がありました。

これに対し秋篠宮さまは、「現在、留学中、喪中ということでもありますが、ここ1、2年の間に川嶋家の方にいろいろ問い合わせ等が多くなって、私としても責任のあることですので、早い時期に公にしたいと判断いたしました」と、公表を急いだ理由を説明されました。

公にするためには皇室会議を経る必要があること、そしてそれについて「宮内庁としても特に異議はありませんでしたし、両陛下から反対もありませんでした」と述べられ、皇室としての承認と両親からの支持があったことを明らかにされました。

お二人の婚約内定会見でのやり取りからは、飾らないお人柄と、お互いを深く理解し尊重し合う関係性が垣間見えます。昭和天皇の喪中という異例の時期に行われた公表も、誠実に向き合った結果であったことが伺えます。結婚35周年を迎えられた秋篠宮ご夫妻の、35年前の知られざる出会いと決意の物語は、今も多くの人々の心に留まる出来事です。

参考資料:文春オンライン(Yahoo!ニュース配信)