韓流ブームが世界を席巻する一方で、韓国国内では日本文化に対する根強い人気、「日流」が続いています。かつて韓流にペ・ヨンジュンがいたように、日流には木村拓哉が存在感を放っていました。2007年には、映画『HERO』のプロモーションで訪韓した木村拓哉を一目見ようと、金浦空港には早朝からファンが集結し、「キムタク」コールが響き渡りました。最近では、韓日合作ドラマ出演で注目された俳優の坂口健太郎が、今年5月にソウルで単独ファンミーティングを開催するなど、日本の俳優も人気を集めています。
昨年4月に放送された、韓国と日本の現役歌手が歌唱力を競い合うエンターテインメント番組『韓日歌王戦』は大きな話題となりました。韓国のテレビで韓国人歌手が日本語の歌を歌う場面が放映されること自体、過去には考えられないことでした。「日本大衆文化は倭色だ」として禁じられていた時代を知る者にとっては、まさに隔世の感があります。
韓国人歌手Lynが「韓日歌王戦」で日本語の歌を披露する様子
過去にはアニメ『宇宙少年アトム』が日本の『鉄腕アトム』であったにも関わらず、韓国の作品として放送されるなど、日本の大衆文化は巧妙に隠蔽されていました。『日本を禁じる』の著者である北海道大学の金成玟准教授は、解放後の数十年間、日本の大衆文化は禁止されながらも、その流れを完全に止めることは不可能だったと指摘します。ソウルの新村大学街では、松田聖子など日本の流行歌をかける喫茶店が流行し、海賊版カセットテープは高値で取引されました。釜山では日本のテレビ局の電波を受信しようと、人々が競ってテレビを購入したといいます。金准教授は「いくら力を入れて境界を引き、強固な防御装置を作動させても、いつのまにか混じり合って以前には見られなかった新しいものと出会うようになるその過程が文化」だと著書で述べています。
韓国では80年代に「ドラゴンボール」、90年代には「スラムダンク」が大ブームを巻き起こしました。日本国内で単行本累計1億7000万部を売り上げた漫画「スラムダンク」は、韓国でも1450万部以上を売り上げ、バスケットボールブームの火付け役となりました。劇場版『鬼滅の刃 無限列車編』は、韓国の映画館でも200万人以上の観客を動員しています。出版界に目を向けると、『ナミヤ雑貨店の奇跡』『容疑者Xの献身』などで知られる東野圭吾が、2023年に韓国で最も売れた日本人小説家となりました。
韓国の公演界は現在、まさにJポップ全盛時代を迎えています。かつてJポップの女王、安室奈美恵の訪韓公演を準備した慶熙大学の朱宰佑教授は、「最近の韓国でのJポップ公演のソールドアウトを見ると感慨深い」と語っています。安室奈美恵は2004年に日本人ソロ歌手として初めて韓国での単独コンサートを成功させました。この記録は21年ぶりに破られ、ヒット曲『ベテルギウス』で知られる歌手の優里が今年5月、ソウルのオリンピック公園KSPOドームで単独公演を開催し、成功を収めています。
今年3月22日には、日本の国民的歌手である米津玄師が初の韓国公演を行い、2万2000人の観客を集め全席売り切れとなりました。また、アニメ『推しの子』の主題歌で人気のYOASOBIは、昨年12月の2度目の韓国公演で、予約開始からわずか1分でチケットが完売するという驚異的な記録を樹立しました。
過去には、日本製品不買運動「ノージャパン」の影響で訪韓が困難視されていた日本の歌手たちも、現在では韓国ファンの高いロイヤルティを信じて積極的に韓国公演を開催しています。日本の有名歌手で俳優の星野源も、今年9月13日にソウルでデビュー後初の韓国公演を行う予定です。
元朝日新聞記者の成川彩さんは、「ファン層が若い世代に広がり、韓日間の政治関係の影響を以前ほど受けにくくなった。彼らは政治と文化を切り離して考える傾向がある」と指摘しています。文化評論家のキム・ボンソク氏は、「日本では一つのコンテンツが古典となると、リバイバルされて再び消費される特徴がある」として、1969年に誕生し今なお人気の「ドラえもん」を例に挙げました。このリバイバル文化により、韓国の若い世代も新たな日本文化ファンとして流入し、中高年の既存ファン層も厚く維持されているといいます。
キム氏はさらに、「日本文化は裾野が広く完成度が高いため、韓国でも安定したファン層が形成されている。一度ファンになれば、韓日関係が政治的に浮き沈みを経ても、その支持は大きく揺るがない」と強調しました。そして、「政治が厳しい時期ほど文化交流が必要だという合理的なファンが韓国で増えたことで、日韓の文化交流は持続性を確保するようになった」と付け加えています。
韓流と日流に関する本稿は、『韓流外伝』(キム・ユンジ著)、『線を越える韓国人 線を引く日本人』(ハン・ミン著)、『韓流の歴史、キムシスターズからBTSまで』(カン・ジュンマン著)、および週刊東亜(2004年12月30日号)の記事などを参考に作成しました。