スペイン各地で抗議デモが続発し、イタリア北部ベネチアでは富豪の結婚式が妨害され、フランス・パリのルーブル美術館では職員がストライキを起こすなど、欧州でオーバーツーリズムを巡る緊張が高まっています。これらの事態を目の当たりにするたび、英旅行会社サンビルのノエル・ジョセファイズ会長は心の中で「だから言ったのに」とつぶやいてきました。彼はこの「観光公害」ともいえる状況を、実に10年以上前から予見していたのです。
長年にわたりサンビル会長を務めるジョセファイズ氏は、英国旅行業協会(ABTA)と独立ツアーオペレーター協会(AITO)の会長も歴任した、欧州旅行業界の重鎮です。彼は2013年、クロアチア南部ドブロブニクで開催されたABTAの年次総会で、「この先、重大な問題が起きる」と明確に警告していました。当時、米民泊仲介大手Airbnbに代表されるシェアリングエコノミー(共有経済)が各地で急成長していましたが、彼の懸念は短期の民泊にとどまりませんでした。
ジョセファイズ氏が予見したのは、格安航空の急拡大と短期宿泊レンタルの急増が重なり、新たな旅行者受け入れ能力が大量に開拓された結果、価格が下落し、大規模な格安旅行の時代が到来するという深刻な事態です。未来の問題を警告したにもかかわらず、誰も具体的な行動を起こそうとしなかったため、彼はまるでギリシャ神話で予言を信じてもらえなかった王女カサンドラのような立場だったと語ります。彼が恐れた最悪の事態は、今や欧州各地で現実となり、住民抗議という形で表面化しています。各地に広がる抗議行動について、ジョセファイズ氏は「地元住民の言い分はもっともだ」と話し、「状況は手に負えなくなっている。私自身の事業に影響が及ぶのは確かだが、それでも私は抗議団体を支持する」と、観光客殺到による地域への影響を強く懸念しています。
パンデミック後の「リベンジ旅行」が問題を加速
コロナ禍が欧州を襲った約5年前、どの街からも人けが消え、静寂が訪れました。しかし、旅行制限が解除されると、観光地は瞬く間に元の賑わいを取り戻しました。さらに「リベンジ旅行」と呼ばれる現象が加わり、多くの場所で観光問題は以前にも増して深刻なものとなりました。
スペイン東部バルセロナの旧市街に住み、近くのポンペウ・ファブラ大学に勤務するマイテ・ドミンゴ・アレグレ准教授は、この10~15年で街がすっかり変わり果てたと話します。もともと多かった観光客は今や季節を問わずに連日押し寄せ、住民の数をはるかに上回るようになりました。道路が混雑するだけでなく、その波及効果はさらに深刻です。中心街では食料品や衣料品の店、レストランに至るまで大半の店舗が観光客向けになり、家賃や物価が大幅に値上がりしました。Airbnbの短期レンタルに事実上追い出された住民や、「ここは高くてもう住めない」と移住を余儀なくされた友人も多いと言います。
コロナ禍で問題はさらに複雑化しました。欧州各地からリモートワークの移住者がバルセロナに押し寄せましたが、彼らの多くは地元住民に溶け込もうとしません。ドミンゴ准教授は、「あの人たちはこの地方や、スペインの文化にさえ関心がない。ここのほうが生活費が安い、食べ物がおいしい、安く飲めるという発想だ」と指摘し、地元の文化や住民生活が軽視されている現状に警鐘を鳴らしています。
スペイン・バルセロナでオーバーツーリズムに抗議し、水鉄砲を持つ地元住民たち。観光公害への不満が募る。
ベネチア:失われゆく住民のアイデンティティ
水の都として知られるベネチアも事情は同じです。地元出身のミュージシャン「オルネッロ」ことアレッシオ・センテナロ氏は、最新の映像で宇宙飛行士に扮し、夏の観光客の人混みをかき分けながら歩く姿を披露しています。日曜日に自転車で市内のローマ広場へ行く途中、向こうから欧州観光客が押し寄せると、「まるで流れに逆らうサケの気分になる」と語ります。彼自身も「時々、何百人もの観光客に囲まれると、自分が外国人になったように感じてしまう」と、居住者減少と観光客殺到がもたらす疎外感を表明しています。
ベネチアは古くから観光客の街として世界的に有名でしたが、かつては住民もかなり多く暮らしていました。しかし、公式データによれば、現在の人口はわずか4万8000人。センテナロ氏によると、このうち70歳以上が7割を占めているとみられています。「この人たちがあと15年生きるとしたら、その後はどうなるだろうか」と彼は問いかけ、ベネチアの観光問題が引き起こす都市の未来への深い懸念を示しています。伝統ある街が、そのアイデンティティと生活基盤を失いつつある危機に直面しているのです。
結論
欧州各地で表面化しているオーバーツーリズム問題は、単なる観光客の混雑というレベルを超え、地元住民の生活、文化、そして都市のアイデンティティそのものを脅かす深刻な社会問題へと発展しています。旅行業界の専門家が10年以上も前から警告し続けてきた「手に負えない状況」が、今まさに現実のものとして、住民抗議という具体的な形で現れています。格安航空券と短期宿泊レンタルの普及、そしてコロナ禍後の「リベンジ旅行」といった複数の要因が重なり、観光地の受容能力を大幅に超える観光客殺到が生じ、結果として観光公害が深刻化しています。バルセロナやベネチアの事例は、この問題が単に一時的な現象ではなく、地域社会の構造と文化に深く影響を与えていることを明確に示しています。持続可能な欧州観光の未来を考える上で、この現状をどう改善していくかは、喫緊の課題と言えるでしょう。
参考文献
- CNN. (2024, August 26). マスツーリズムに抗議するスペイン・バルセロナの住民。水鉄砲を手にしている. Yahoo!ニュース. Retrieved from https://news.yahoo.co.jp/articles/6beb034890039483afaf25010850fb0b0ec4c1d1