なぜ、立てこもってしまったのだろう?
ずっと疑問だった。
11月16日以降、若者らが占拠を続け、29日に開放された香港理工大のことだ。
12日に警官隊と激しく衝突した後、構内に立てこもろうとはせず、16日未明までに撤収してしまった香港中文大とは対照的だった。
6月に本格化した一連の抗議活動の合言葉は「BE WATER」(水になれ!)のはずである。1カ所にとどまらず、縦横無尽に、変幻自在に抗議活動を続けるという戦略だった。
2014年の民主化運動「雨傘運動」では、79日間にわたり政府本部周辺の幹線道路を占拠し、市民の支持を失って失敗していた。
中文大の場合、警察の突入が近いとの情報が流れた15日に、若者らが対応を協議している。香港紙、蘋果日報によると、「中文大は重要拠点だ」と“籠城”を唱える若者たちがいる一方、「雨傘運動の過ちを繰り返してはならない」「BE WATERであるべきだ」と主張する若者らがいた。3時間の協議を経て撤収が決まったという。
「そうではない」と話す若者もいる。デモ参加者は「和理非(平和、理性、非暴力)派」と「勇武(武闘)派」に大別されるが、中文大の攻防戦に参加していたのは勇武派の若者たちだ。その1人は「仲間割れがひどかったんだ」と明かす。中文大の学生と、外部から来た若者との対立だ。
「なぜ、大学構内のガラスを壊して回ったのか」「よそ者は俺たちの指示に従え」と迫る中文大の学生らに、外部の若者たちは「自分の大学なのだから、もっと前線で戦え」「なぜ、あれもするな、これもするなと注意するのか」と不満をぶつけた。結局、外部組に中文大で戦う意思がなくなったのだという。
ある大学講師は別の見方をする。抗議活動を分析している彼によると、「若者らは中文大より理工大の方が戦略的価値が高いと考えた」。理工大の近くには、九竜半島と香港島を結ぶ海底トンネルの出入り口や、香港の主要駅、紅●(ホンハム)駅があるからだ。
中文大を出た若者たちは理工大に集結し始め、海底トンネルの往来などを遮断する挙に出た。しかし-。
「広大な山の斜面にある中文大より、市街地にある理工大の方が警察にとっては好都合だった」(大学講師)。つまり、大学を包囲しやすかったのだ。