漫画家・平松伸二氏、初投稿作で週刊少年ジャンプ月例賞佳作獲得の舞台裏

『ドーベルマン刑事』、『ブラック・エンジェルズ』、『マーダーライセンス牙』など、数々のヒット作を生み出してきた漫画家の平松伸二氏。勧善懲悪をテーマにした作品で知られる巨匠は、いかにして漫画家への道を歩み始めたのか。その原点、特に週刊少年ジャンプ月例賞での最初の成功体験について、本人へのインタビューに基づき深掘りする。

岡山での幼少期と漫画への出会い

平松氏の出身は、岡山県の山間に位置する田舎町だ。当時は漫画がまだ「子ども向けの娯楽」と見なされがちな時代であり、書店もほとんどないような環境だったという。しかし、年に数回、父親が買ってくる漫画雑誌が、平松氏にとって外界との貴重な接点となった。これらの漫画を繰り返し読み、登場人物を模写するうちに、絵を描くことへの興味と才能が開花。家の壁に絵を描いてしまい、祖父に叱られたエピソードは、その情熱の強さを物語っている。特筆すべきは、平松氏の両親が漫画に対して寛容であり、読むこと、描くことの双方を肯定的に捉えていた点だ。これは、後の平松氏の漫画家人生において重要な精神的な支えとなったと言えるだろう。

漫画家への決意:中学生時代の挑戦

漫画を読むだけでなく、自ら描くことに熱中した平松氏は、特に当時流行していたスポ根漫画に強く影響を受けた。「もう俺は漫画家になるぞ」――中学2年生の頃には、既にプロの漫画家を目指すことを固く決意していたという。そこから、本格的に漫画制作に取り組み始める。中学生がプロを目指して漫画を描くこと自体、当時の環境を考えれば異例の行動力と言える。

初投稿作での快挙:ジャンプ月例賞「佳作」

漫画家への夢を追い、平松氏は中学3年生の時、初めて自身で描き上げた31ページの読切作品を週刊少年ジャンプの月例賞に投稿した。この最初の挑戦で、彼は「佳作」を受賞するという快挙を成し遂げる。「あ、俺天才かも」と当時の心境を振り返るように、この受賞は大きな自信につながった。週刊少年ジャンプの月例賞は、多くの新人漫画家がデビューを目指す登竜門であり、「佳作」とはいえ、その狭き門を最初の投稿で突破したことは、平松氏の抜きん出た才能と将来性を明確に示す出来事だった。

週刊少年ジャンプ月例賞での成功経験を語る平松伸二氏週刊少年ジャンプ月例賞での成功経験を語る平松伸二氏

描く喜びと高校時代の飛躍

漫画を描く上での確かな手応えを感じた具体的な経験が、平松氏の自信をさらに強固にした。授業中に教科書に落書きをしていた際、「人が殴られて壁にぶつかるシーン」を頭の中で想像しながら描いてみたところ、イメージした通りの絵が右手を通じて紙の上に再現できたという。「この経験は自信になりましたね」。この確信を得て、彼は勢いを増し、次々と作品を描き続けた。その努力は早くも実を結び、高校1年生にして野球漫画『勝負』が週刊少年ジャンプに掲載されるという、プロデビューに匹敵する成果を上げる。高校在学中には、合計6本もの作品がジャンプに掲載されるという驚異的な実績を残した。さらに、後に『ドーベルマン刑事』で伝説的なタッグを組むことになる漫画原作者の武論尊氏とも、この高校時代に野球漫画『限界30球!』で既に共同制作を行っていたという事実は、彼のキャリアの初期段階から才能ある仲間と巡り合っていたことを示している。

結論

平松伸二氏の漫画家としての道のりは、岡山での幼少期における漫画との出会いから始まり、中学生での確固たる決意、そして週刊少年ジャンプ月例賞での「佳作」受賞という鮮烈な成功体験によって決定づけられた。初投稿での受賞は、彼の才能と努力が最高峰の舞台で認められた証であり、その後の高校時代における継続的な掲載実績が、プロの漫画家としての揺るぎない基盤を築いた。武論尊氏との初期の協業も含め、これらの経験全てが、『ドーベルマン刑事』をはじめとする数々の名作を生み出す偉大な漫画家・平松伸二の原点を形作っているのである。

参照元

ENCOUNT: 初投稿作が週刊少年ジャンプの月例賞で佳作を獲得