札幌で母が餓死:38年前の悲劇が問いかける生活保護の課題

1987年1月、真冬の北海道札幌市で、一人のシングルマザーが3人の幼い子どもを残して餓死した。当時39歳だったコトミさん(仮名)の死は、「生活保護申請を拒否された結果」として報道され、日本社会に大きな衝撃を与えた札幌母親餓死事件として知られている。発生から約40年近くが経つ今も、この悲劇は日本の生活保護行政や社会のあり方について、私たちに重い問いを投げかけている。

札幌母親餓死事件が発生した、真冬の札幌市をイメージした写真札幌母親餓死事件が発生した、真冬の札幌市をイメージした写真

福祉事務所への「告発」と初期報道

事件発覚後、コトミさんの元雇用主と名乗るナミエさん(仮名)が関係者を伴い、管轄の札幌市白石福祉事務所に乗り込み、「コトミさんが亡くなったのは福祉事務所の責任だ」と激しく抗議した。その後、ナミエさんの関係者から各新聞社へ、「福祉事務所生活保護申請を拒否したために母親が餓死した」という告発が相次いだ。

翌日、一部を除いた新聞各社はこれを大見出しで報じ、札幌母親餓死事件として世間に大きな衝撃を与えた。福祉事務所や市役所には抗議電話が殺到し、業務に支障を来す事態となった。

過熱するマスコミ報道と社会への影響

新聞報道に続き、テレビやラジオでもこの事件が大きく取り上げられた。STV、HBC、NHKなどのメディアにナミエさんが登場し、福祉事務所への批判を繰り返した。このマスコミ報道は、社会に生活保護行政への関心を高めることとなった。

事件から約9ヶ月後、STV制作のドキュメンタリー番組「母さんが死んだ―生活保護の周辺」が全国放映され、生活保護制度の問題点を浮き彫りにしたとして高い評価を受け、多くの賞を受賞した。さらに1990年には、同番組のディレクターによる関連書籍も出版され、事件の記憶と問題意識を広げることになった。

現代社会に問いかける「未解決の課題」

札幌母親餓死事件は、単なる過去の悲劇ではない。当時、なぜコトミさんが生活保護を必要としながら申請を拒否されたのか、その背景にあった行政の運用、そしてセーフティネットとしての生活保護制度のあり方は、現在も未解決の課題として議論されることがある。貧困、格差、そして公的支援へのアクセスといった社会問題は、形を変えつつも現代日本にも存在している。

この事件を振り返ることは、困窮した人々を社会がいかに支えるべきか、そして再び同様の悲劇を起こさないために生活保護制度や関連行政はどうあるべきか、を深く考えるきっかけとなる。

参照元

本記事は、提供された情報源(https://news.yahoo.co.jp/articles/4e652e5cc9635ae0cc04ae9affe2297b4576753b)に基づき構成されています。