日本の古参フェリーが相次ぎ引退へ ~「昭和の船旅」を支えた船たちの終焉~

松山、北海道、長崎など、日本の各地で長年航路を担い続けてきた「古参フェリー」の引退が相次いでいます。現代のフェリー船体は通常20年程度で新造船と入れ替わるのが一般的ですが、これらの船は30年、時には40年もの間、海上を走り続けてきました。引退の主な理由は新造船への代替ですが、残念ながら航路自体の廃止に至るケースも見られます。これらの歴史あるフェリーが引退後どのような道をたどるのか、海運業界の事情とともに追跡する動きもあります。その前に、まずは引退間近の「古参フェリー」に乗船し、「昭和の船旅」の雰囲気を深く味わってみましょう。

松山と小倉を結ぶ「松山・小倉フェリー」の事業撤退と航路廃止に伴い、1987年の就航以来、四国と九州を結び続けた「フェリーくるしま」が2025年6月30日をもって引退します。標準的なフェリーの寿命とされる20年をはるかに超える、実に38年間もの長きにわたり海上を航行し、運航事業者は関西汽船、フェリーさんふらわあを経て、現在は石崎汽船傘下の松山・小倉フェリーへと引き継がれてきました。

瀬戸内海の航路を38年走った古参フェリー「くるしま」船体の外観瀬戸内海の航路を38年走った古参フェリー「くるしま」船体の外観

「フェリーくるしま」で今なお体験できるのは、「昭和のフェリー」が持つ独特の佇まいと香りです。最新鋭のフェリーでは味わえない、「ドドドドドドドド!!」という腹に響くようなエンジン音とそれに伴う揺れ、ファンネル(排気口)からもくもくと立ち上る煙、そして寝台利用時に常にギシギシときしむ二段ベッド…。現代のフェリーが追求する快適さや環境性能とは対照的ですが、瀬戸内海を横断する「しまなみ海道」のような架橋が存在しなかった時代には、「くるしま」はもう一隻の「はやとも2」(2024年引退)と共に、福岡県と愛媛県を結ぶ主要な交通ルートとしての役割を担っていたのです。

船内には、かつては賑わいをみせていたであろう円形のモダンなサービスカウンターや、時代を感じさせる自動販売機が今も現役で稼働しています。一方で、かつてのレストランやゲームセンターといった共有スペースは、その面影を残しつつも現在は使用されていない空間として転用されています。引退を1ヶ月後に控えた時期でも、「くるしま」の乗船客は20人程度、トラックも3〜4台と多くはなく、静かでゆったりとした雰囲気の中で「昭和の船旅」を名残惜しむ人々の姿が目立ちました。

かつて九越フェリーとして運航されていた「らぶ・べる」も、現在は「さんふらわあ」ブランドに転換された後も、船内に当時の痕跡を残しながら姿を消しつつあります。