元読売巨人軍の人気選手で日本代表、横浜DeNAベイスターズの監督を務めた野球解説者の中畑清氏が、5日放送のBS日テレ『おぎやはぎの愛車遍歴 NO CAR, NO LIFE!』(毎週土曜 後9:00)に出演し、自身のカーライフと共に現役時代、指導者としての野球人生を振り返った。
MCのお笑いコンビ・おぎやはぎ(矢作兼・小木博明)のうち、矢作は中畑氏が1980年代、V9後の巨人で主力として活躍し、4番も務めた姿をリアルタイムで見ていた世代。「往年の一番見ていた憧れのスター選手の1人ですよね。うれしいですよ」と、ゲストとの対面に心躍らせる様子を見せた。
福島県の「人口2万人もいない」田舎町で生まれ育ったという中畑氏は、「そこから生まれたスーパースター」と、笑いを誘いながら自画自賛。野球を始めたきっかけとしては、やはり長嶋茂雄氏の名前を挙げ、「日本国民の中で、あれだけ話題の中心になる人はいないじゃない?」と、当時の時代背景を振り返った。
乗用車だけでなく、当時としては珍しく自宅にテレビがあったという中畑家。「借金してでも見栄を張るタイプ」だったという父の影響を明かした。また、プロ入りしたにも関わらず、「生活費もままならない」状況だったという意外な告白も飛び出し、契約金の意外な使い道についても語った。
BS日テレの番組「おぎやはぎの愛車遍歴 NO CAR, NO LIFE!」で、野球解説者の中畑清氏(中央)がMCのおぎやはぎ(左・矢作兼、右・小木博明)と愛車について語る様子。
そんな困窮の中、中畑氏が初めて手にした愛車は、1977年に登場した“スポーティーな高級セダン”、初代トヨタ『チェイサー』だった。中古車販売をしていた友人から購入したそうで、「姉ちゃんに借金して買ったの」と当時の苦労を回顧。この告白に、矢作は「巨人に入って、車を借金して買うって…」と驚きを隠せない。
購入前は先輩選手に送り迎えをしてもらっていたという、今では信じられないエピソードもおぎやはぎを爆笑させた。しかし、念願の“初愛車”との別れは、悲しいものだったという。番組では、その切ないエピソードも詳細に披露された。中畑清氏の波乱万丈な野球人生と、それに寄り添った愛車たちの物語は、視聴者にとって見逃せない内容となるだろう。
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