英国推理作家協会賞(CWAダガー賞)の翻訳部門で、日本の作家・王谷晶氏の小説「ババヤガの夜」英訳版「The Night of Baba Yaga」(サム・ベット氏訳)が選出されました。これは、権威あるダガー賞において、日本人作家としては初の快挙となります。過去には横山秀夫氏や伊坂幸太郎氏ら人気作家がノミネートされましたが、受賞には至っていませんでした。
ダガー賞翻訳部門受賞を受け、ロンドンでスピーチを行う王谷晶氏
「ババヤガの夜」:暴力描写と女性像の刷新
同作の主人公は、暴力を振るうことを唯一の趣味とする新道依子。ある出来事を機に、暴力団会長令嬢の護衛を務めることになります。作品の最大の特徴は、北野武監督作を彷彿とさせる凄惨な暴力描写です。規格外の強さを持つ依子が、次々と敵対するヤクザを圧倒する様子は、読者に強烈な印象を与えます。こうした血生臭い描写は、フィクションで往々にして被害者として描かれがちな女性を、自ら暴力を振るう側として描くことで、従来のジェンダー観を打ち破る痛快さを生み出しています。
英ダガー賞翻訳部門を受賞した王谷晶氏の小説「ババヤガの夜」書籍カバー
「シスターフッド」が共鳴した世界的な潮流
もう一つの重要な要素が、主人公・依子と護衛対象である暴力団会長令嬢の間に芽生える連帯感です。単なる保護者と被保護者にとどまらない、同志のような強い絆が描かれます。この女性同士の連帯「シスターフッド」は、性被害告発運動「#MeToo」以降、世界的に高まるフェミニズムの潮流と共鳴し、作品が国際的に高く評価される大きな要因となりました。レズビアンであることを公言している王谷氏が、この古くて新しい概念をフィクション上で深く掘り下げた点も注目されます。
国内文学賞との対照的な評価
「ババヤガの夜」は、2020年に雑誌「文藝」に掲載された後、単行本化されました。翌年には日本推理作家協会賞の候補となりましたが、残念ながら受賞は逃しています。王谷氏自身、これまでのキャリアで国内の主要な文学賞とは縁が薄かっただけに、今回の海外での権威ある受賞は、日本の文学界においても驚きをもって受け止められています。
王谷晶氏の「ババヤガの夜」が掲載された、河出書房新社「文藝」2020年秋季号
「純文学」と「エンタメ」の境界線
国内での評価が難しかった背景として、「文藝」という純文学志向の強い雑誌に掲載されたことが挙げられるかもしれません。日本の文学界では、純文学とエンタメ小説の間には、時に明確な区分が存在します。「文藝」には芥川賞の選考対象となるような作品が多く掲載され、実際、同号に掲載された宇佐見りん氏の「推し、燃ゆ」は後に芥川賞を受賞しています。こうした分類が、「ババヤガの夜」の国内での位置づけや評価に影響を与えた可能性も指摘されています。
今回の英ダガー賞翻訳部門受賞は、「ババヤガの夜」が持つ、暴力描写を通じた型破りな女性像の提示や、「シスターフッド」といった普遍的かつ現代的なテーマが、言語や文化を超えて高く評価されたことを示しています。国内での評価とは異なる結果となったことは、文学作品の多様な価値や、それを評価する場の違いを浮き彫りにします。日本人作家として初のダガー賞受賞という快挙は、王谷晶氏の作品が世界に通用する力を持っていることを証明しました。(共同通信)