【話の肖像画】シンガー・ソングライター BORO(65)(9)宿業克服 今が最も元気





体調が回復し、兵庫・伊丹でのコンサート開催を藤原保幸市長(左)に報告する

 〈父親の世話をするため東京から関西に帰ったのは、時代が昭和から平成へ移り変わったころ。当時30代半ば、「体がだるい」と体調の変化を感じていた〉

 病院で診てもらうとC型肝炎でした。平成3~4年ごろのことです。体のだるさは前からありましたが、若いからクリアしていたのでしょうね。病院では、治療薬のインターフェロンもきかないといわれました。だからやらなかった。

 〈C型肝炎による体の不調を抱えながらも、曲作りやコンサート活動を続けていた16年ごろ、新たな病魔に襲われた〉

 上顎に膿(うみ)がたまるようになったのです。きっかけは歯の治療でした。もともと上の骨が薄かったのですが、歯の治療中に骨を貫通して、そこから細菌が入って膿がたまっていきました。半年くらいほったらかしだったですが、気づいたころには膿が骨を溶かしていました。それで、ほおを切開して人工の骨を埋め骨を増やす。そんな手術を5年間で5回しました。全部で144針。切るたびに患部が腫れて、流動食が1カ月くらい続くんですね。その合間を縫ってライブをやっていました。

 当時思っていたのは、これを乗り越えたら、ステージでこの経験を笑って語れると。そうなってやろうと頑張りました。

 〈不運はさらに続く。22年には、自分のスタジオで「事故」に遭った〉

 当時もC型肝炎で、常に体がだるい状態でした。朝起きたときに「ああ、しんど」って、起き上がれないときもありました。そんなとき、ドラムのシンバルスタンドを持ち上げたら、頭に倒れてきたのです。「痛っ」て思ったのですが、血が出なかったので、そのままほったらかしにしていたら、1カ月後に呂律(ろれつ)が回らなくなってきて、あれおかしいなと。寝たら治るといったのですが、家内が病院に連れていくと言いまして。

 主治医のところにいったら、「これ、ダメだ。血がたまってますよ」と。それですぐに大きな病院に行くと、「硬膜下血腫です。あした手術」って言われて。「3日待ってほしい」と言ったのですけど、「あんたも忙しいかもしれないが、わたしも忙しい。あしたしか空いていない」と言われて。朝の8時から手術と通告され、そのとき初めて「ああこりゃヤバイんだ」と思いました。1人で暮らしていたら死んでいたかもしれません。

 〈顎も頭も手術で治癒した。しかしC型肝炎は完治しないまま、四半世紀が経過。そんなとき、名医に出会う〉

 ひょんなきっかけでC型肝炎の名医に出会い、治してもらったのです。28年には数値が正常になりました。宿業を抱えて、もがき苦しんだ時代があって、いまやっと自分の人生の中でもっとも元気になって、デビュー40周年を迎えています。(聞き手 松田則章)

 コンサート情報・チケットの問い合わせは、BOROの音符工房(0797・61・3399、ホームページへ。



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