フジテレビ元相談役・日枝久氏(87)が今なおグループ内組織でトップに – 人権問題後の「刷新」は本物か

フジテレビ及び親会社フジ・メディア・ホールディングス(FMH)の取締役相談役を退いた日枝久氏(87)が、フジサンケイグループ(FCG)内の組織で依然としてトップを務めている。人権侵害問題後の組織刷新を目指すフジだが、旧体制を築いた主要人物である日枝氏のグループ内残留は、その実効性を問う声につながっている。沈黙を続ける同氏が、今後のグループ運営にどのような影響を与えるのか。

フジテレビ・フジサンケイグループ元幹部で、彫刻の森芸術文化財団トップの日枝久氏の肖像フジテレビ・フジサンケイグループ元幹部で、彫刻の森芸術文化財団トップの日枝久氏の肖像

退任後も残る「トップ」の椅子

日枝氏がいまだにトップを務めているのは「公益財団法人 彫刻の森芸術文化財団」だ。この財団は「彫刻の森美術館」(神奈川県箱根町)と「美ヶ原高原美術館」(長野県上田市)を運営しており、日枝氏はここで代表理事及び両美術館の館長を兼任している。FCGは、テレビ、新聞、ラジオといったメディア事業から都市開発、観光まで多岐にわたる78社・4法人・3美術館を束ねる企業連合であり、約1万3000人の職員を擁する巨大グループである。その中核を担うのがFMHであり、139社の子会社・関連会社を統括している。FCGの代表はグループ総帥を意味する役職で、日枝氏は2003年から今年3月までこの代表を務めていたが、現在は空位となっている。

「彫刻の森芸術文化財団」の特別な意味

美術館運営事業は、巨大グループ全体から見れば直接的な利益貢献が小さいと捉えられがちだが、フジにとってその重要性は決して低くない。特に彫刻の森美術館は、フジの中興の祖とされる故・鹿内信隆氏がグループのステイタス向上を戦略的に図るためにつくった美術館であり、1969年の開館時に初代館長にも就任している。これはフジのシンボル的存在であり、信隆氏は芸術文化事業を通じて、世間から「俗悪」と蔑まれがちだったテレビやマスコミ経営者の地位を高め、ヨーロッパの美術館オーナーのような尊敬される存在となることを目指したとされる(フジ関係者談)。

フジサンケイグループと芸術界の歴史的つながり

鹿内信隆氏は、彫刻の森美術館に続き、1981年には美ヶ原高原美術館も開設した。これにより、信隆氏及びフジの芸術界における存在感とステイタスは確かに向上し、多くの芸術家や文化人との強固な人脈を構築していった。財団の初代トップが鹿内信隆氏ということもあり、彫刻の森芸術文化財団はFCG内での格式が極めて高い組織と見なされている。さらに、FCGは1972年には上野の森美術館(東京都台東区)も開館しており、フジと芸術界の密接な関係は長年にわたり築かれてきた。こうした歴史的背景を持つ財団のトップという要職に、FMH等の主要ポストを退いた後も日枝氏が留まり続けている構図が、一連の問題を受けて打ち出されたフジの「組織と社風の一新」という目標に対し、旧体制の中心人物の影響力が依然として残っている可能性を示唆し、真の改革の進捗に疑問符を投げかけている。

フジテレビやFMHの要職を退いた日枝久氏が、歴史的象徴である「彫刻の森芸術文化財団」のトップに留まっている事実は、人権侵害問題後の「組織と社風の一新」という目標との矛盾を指摘されている。旧体制の中心人物がなおグループ内に影響力を持つ状況は、真の改革の進捗に疑問を投げかける。日枝氏の存在が今後のグループ運営にどう影響するのか、その動向が注目される。