親の遺産相続をきっかけに、兄弟姉妹が揉めるケースは少なくありません。特に、介護への貢献度の違いが大きな火種となることが多々あります。本記事では、心臓疾患を抱える父親と、認知症になった母親の介護を担いながらも、その介護に全く非協力的だった妹を持つB子さんの事例を通して、介護と相続にまつわる不公平な現実と、当事者の複雑な胸中を探ります。
B子さんの妹は、同じ市内に住んでおり、車も所有していました。B子さんは、せめて父親の定期的な通院だけでも手伝ってほしいと妹に頼みました。しかし、妹からは「うちにはまだ手のかかる高校生の子供がいる。それに親の面倒を見るのは長女であるあなたの役割だから」と、協力を拒む返答が返ってきました。
やむなくB子さんは父親の通院も一人で担うことになりました。時が経つにつれて、父親は歩行がさらに不自由になり、母親の認知症も進行しました。B子さんは物理的、精神的に限界を感じ始め、両親のどちらかを有料老人ホームに入れることを検討し、妹に電話で相談を持ちかけました。しかし、妹はこれに猛反対しました。「両親は仲の良い夫婦なのに、離れ離れにしてしまうなんて残酷よ。そんな晩年にしたら、あなたはきっと恨まれるわ」と強い言葉を残し、妹は何とそのままヨーロッパ観光旅行へと旅立ってしまったのです。
高齢の親の手を握る子の手、介護の様子をイメージ
B子さんは、両親を引き取って以来、海外旅行どころか国内旅行すらままならない24時間気の抜けない毎日を送っていました。帰国した妹にその過酷な状況を訴えましたが、妹からの返答は再びB子さんを落胆させるものでした。「長女なのに介護を途中で放棄したら、ご近所のうわさになって、あなたが恥ずかしい思いをすることになるのよ」と突き放すような言葉を言い放ちました。さらに、B子さんからの電話が煩わしくなったのか、何も告げることなく電話番号を変えてしまい、B子さんとの連絡を絶ってしまいました。
B子さんの夫は、その様子を見て「もう何を言っても義妹は聞く耳を持たないだろう。諦めるしかないよ」とB子さんを諭しました。B子さんは「等分に手伝ってほしいなんて思わないけれど、少しは手伝ってほしいだけなのに」と訴えました。妹が全く協力しない中、介護を手伝ってくれていたのは、血縁関係のない夫だけでした。
夫に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだったB子さんに、夫は再び語りかけました。「義妹にいくら手伝いを求めても、暖簾に腕押しだと思う。苛立ちが募るだけ損だよ。その苛立ちの矛先が、お義父さんやお義母さんに向いてしまうことにもなりかねない。それは避けなくてはいけないことだ。だから覚悟を決めよう」と強く説得しました。夫の言葉を受け、B子さんは「もう妹は死んでしまって、自分は一人っ子になった。だから親の世話をするのは自分しかいないのだ」と心に言い聞かせることにしました。
結局、B子さんは父親を約2年間、母親については約5年半にわたって自宅介護しました。両親とも要介護認定を受けることができ、父親はデイサービスの利用もできましたが、それでも介護が始まって以降、B子さんの生活は一変しました。両親ともに最後まで自宅介護を続け、有料老人ホームには入居しなかったため、ある程度の財産は遺産として残されました。
しかし、その遺産相続の段になり、妹は突如として現れ、法定相続分である2分の1の相続権をしっかりと主張してきました。B子さんは介護の間中、「もう妹は死んだ」と自分に言い聞かせて奮闘してきましたが、妹は遺産相続の場面では「死んでなんかいなかった」のです。妹にとっては、何も介護に貢献することなく、労せずして手に入れた遺産取得でした。B子さんはその不公平さに強い不満を感じましたが、法律がそう定めているのだから仕方がないと、最終的には諦めざるを得ませんでした。
B子さんは妹に対して、今でも良い感情は全く持っていません。しかし、介護そのものについては「してよかった」と語っています。特に母親の認知症が進行し、最期の頃にはB子さんが誰なのか分からなくなってしまった時のことを振り返ります。夜中に徘徊しないかと心配で、ずっと添い寝をしたこともありました。それでも、まだら認知症であったため、時折正気に戻る瞬間がありました。「体調が日々違うように、認知症患者でも、ずっと何も分からなくなるのではないんですよ」とB子さんは言います。夜中に母親がB子さんの名前を呼び、抱きしめてくれたこともありました。B子さんは、そんな瞬間に立ち会えた時に、「そばにいてあげて本当に良かった」と心から思ったと述懐しています。この経験は、遺産相続の不公平さや妹への複雑な感情とは切り離された、B子さんにとってかけがえのない時間となったのです。