歌舞伎役者・片岡我當さんが肺炎のため死去 松竹が発表


 同社は「遺族にて新盂蘭盆会を済ませましたので、ご弔問、ご香典、ご供花はご辞退申し上げます」とした。

 我當さんは、1935年1月7日生まれ。東京都出身で十三代目片岡仁左衛門の長男。1940年10月に大阪・歌舞伎座で上演された「近頃 河原の達引」のおつるで片岡秀公(ひできみ)を名乗って初舞台を踏んだ。

 71年2月に大阪・新歌舞伎座「二月堂」良弁大僧正、他で「五代目片岡我當」を襲名した。

 同社によると「朗々たるせりふ回しに、スケールの大きな舞台姿、そして本人の誠実な人柄を映す滋味にじむ演技で、立役として上方歌舞伎から江戸歌舞伎まで幅広い役どころを勤めてきた」とし、「若き頃、二代目尾上松緑に師事したことで江戸の荒事を学び、『車引』の梅王丸なども演じた」という。

 後年は「上方歌舞伎の継承に熱心に取り組み、『上方歌舞伎会』などで上方の若手俳優の指導にも尽力した。また、長年にわたり関西における学生を対象とした『歌舞伎鑑賞教室』を行い、歌舞伎観客の裾野を広げてきた功績は大きい」と伝えた。

 最後の舞台は、20年2月に歌舞伎座で行われた十三世片岡仁左衛門二十七回忌追善狂言「八陣守護城」で演じた佐藤正清だった。

東スポWEB



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