日米開戦と国民の支持:太宰治『十二月八日』が語る歴史の真実

今年は戦後80年を迎える節目の年となります。「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れた」とする“村山談話”の一節は、国民が戦争指導者によって欺かれ、戦争に巻き込まれたという認識を強く根付かせています。しかし、『[新版]人種差別から読み解く大東亜戦争』の著者である政治学者の岩田温氏は、これに異を唱え、「当時、多くの日本国民が開戦を支持したのは歴史的事実」であると指摘します。では、なぜこのような歴史的事実が忘れ去られ、多くの国民が開戦を支持したのでしょうか。その手掛かりの一つが、現代でも若者を中心に読み継がれる太宰治の小説「十二月八日」に隠されています。この「十二月八日」とは、昭和十六年十二月八日、すなわち日本海軍が真珠湾攻撃を敢行し、日米開戦へと踏み切ったその日のことを指します。

「十二月八日」が示す開戦時の国民感情

太宰治の小説「十二月八日」は、日米開戦という歴史的転換点における、当時の「日本のまずしい家庭の主婦」の一日を克明に描写しています。小説は次のような一文で始まります。

「きょうの日記は特別に、ていねいに書いて置きましょう。昭和十六年の十二月八日には日本のまずしい家庭の主婦は、どんな一日を送ったか、ちょっと書いて置きましょう」

この導入部は、歴史の大きなうねりの陰で、市井の人々がどのようにその日を迎えたのか、その個々の感情に焦点を当てる太宰の意図を明確に示しています。多くの戦後の人々が想像するような、戦争への悲しみや困窮した生活への嘆き、あるいは早期の終戦を願う声とは異なる、驚くべき「国民感情」がこの小説には描かれています。

真珠湾攻撃の報、主婦に宿った「昂揚感」の真実

日米開戦が始まったその日、一般的な主婦は一体何を思っていたのでしょうか。この小説が描くのは、戦争の始まりに歓喜する主婦の、悦びに満ち溢れた一日です。朝、子供に乳を与えながらご飯の準備をしていると、どこからともなくラジオの声が聞こえてきます。

「大本営陸海軍部発表。帝国陸海軍は今八日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入り」

日米開戦を告げる、まさに重大な一報でした。この報を聞いた主婦の感想は、我々戦後の日本人の予想を大きく裏切るものです。

「しめ切った雨戸のすきまから、まっくらな私の部屋に、光のさし込むように強くあざやかに聞えた。二度、朗々と繰り返した。それを、じっと聞いているうちに、私の人間は変ってしまった。強い光線を受けて、からだが透明になるような感じ。あるいは、聖霊の息吹きを受けて、つめたい花びらをいちまい胸の中に宿したような気持ち。日本も、けさから、ちがう日本になったのだ」

戦時下の苦しい生活や、この後に続く辛い戦争の現実を知る前の感覚とはいえ、ここには戦争を憎む気持ちなど微塵も感じられません。むしろ、日米開戦の一報に対し、この主婦は深い感激と昂揚感を抱いています。この描写は、開戦当初、多くの日本国民がこの主婦のように日米開戦を支持していたという、現代では忘れられがちな「歴史的事実」を強く示唆しています。

日米開戦の報に接する当時の日本人女性の心情を想像させるイメージ日米開戦の報に接する当時の日本人女性の心情を想像させるイメージ

忘れ去られた「歴史的真実」と向き合う

太宰治の「十二月八日」が示すように、日米開戦当初の日本国民の感情は、現代の私たちが一般的に抱くイメージとは大きく異なっていた可能性が指摘されています。多くの人々が、戦争指導者に欺かれて巻き込まれたという認識が根強い一方で、当時の国民の中には、開戦を積極的に支持し、高揚感を抱いた人々が少なからず存在したという「歴史的事実」は、忘れ去られがちです。戦後80年を迎える今、私たちは、過去の出来事を単一の視点から捉えるのではなく、様々な側面からその真実と向き合う必要があります。当時の人々の多様な感情や行動を理解することは、未来へ向けたより深い洞察を得る上で不可欠だと言えるでしょう。

参考資料

  • 岩田温『[新版]人種差別から読み解く大東亜戦争』 (株式会社SSパブリケーションズ)
  • 太宰治「十二月八日」 (青空文庫 他)