【中曽根氏を悼む】他国の発展は日本国の喜び 柳本卓治氏

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首脳会談後、握手をするレーガン米大統領(左)と中曽根康弘首相=昭和58年11月10日、東京・首相官邸

首脳会談後、握手をするレーガン米大統領(左)と中曽根康弘首相=昭和58年11月10日、東京・首相官邸

 私にとって恩師であり、父である中曽根康弘元首相を亡くしたことは大きな衝撃です。国家にとっても戦後政治の生き字引という財産をなくしました。

 中曽根先生と最初に出会ったのは昭和40年9月、河野一郎元農相が亡くなり、母校の早大で追悼演説会を開いたときのことです。

 戦後、しばらく早大出身の首相が出ていなかったので、河野さんを首相にしたいという願いが早稲田の人間にありました。先生は吉田茂や鳩山一郎の後継首相とみられながら急逝した緒方竹虎ら早稲田出身の政治家を踏まえ、「早稲田の政治家は悲劇だ。しかし、それだけ国民と密接に政治を行っていたからに他ならない」と述べられた。

 それまでは「官僚政治家」というイメージを持っていたのですが、言葉を聞いて心を打たれました。中曽根康弘の政治は喜びや悲しみを分かち合う「感激の政治」だと思ったのです。

 先生が政治家を志した原点は、終戦の日に抱いた英霊に報いるために立派な日本を再建するという信念です。外交では、日米関係を基軸に北東アジアの安定を考え、レーガン元米大統領と「ロン・ヤス」関係を築きました。これは今もなお生きていますね。

 戦争を体験した先生は、中国や韓国に申し訳ないという気持ちがあったと思います。だから首相就任後、米国より先に韓国を訪問したのでしょう。

 私なりに表現すれば、中曽根政治の神髄は「思いやり」です。他人の不幸せの上に自分の幸せを築かない。他国の発展は日本国の喜びであるという精神だと解釈しています。

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