近年、イギリスから世界的な富裕層が相次いで国外へと拠点を移す「WEXIT(ウェグジット)」と呼ばれる現象が加速しています。この動きの背景には、長年にわたり富裕層に適用されてきた優遇税制「非居住者(Non Dom)制度」の廃止があります。この税制改正は、今後のイギリス経済の行方にも大きな影響を与える可能性が指摘されており、国際的な注目を集めています。
加速する「WEXIT」現象とその規模
「WEXIT(ウェグジット)」とは、イギリスのEU離脱を指す「Brexit(ブレグジット)」に倣い、「Wealthy Brits(裕福なイギリス人)」と「EXIT(脱出・退場)」を組み合わせた造語です。この言葉が示す通り、多くの裕福なイギリス人が国外へと移住する動きが顕著になっています。あるコンサルティング会社の推計によると、2024年にはイギリスから約1万6500人の富裕層(投資可能資産100万ドル以上保有)が流出すると見込まれており、これは統計開始以来初めて世界で最多となる数字です。流出する総資産は、実に約13兆8000億円に上るとされています。
具体的な事例として、サッカー・イングランド・プレミアリーグの「アストンビラFC」共同オーナーを務めるエジプトの著名な富豪、ナセフ・サウィリス氏の国外移住が挙げられます。純資産約1兆3000億円とされる彼は、富裕層の新たな移住先として3番目に人気が高いとされるイタリアへ拠点を移す意向を示しています。さらに、ブルームバーグの報告によれば、サウィリス氏のような大富豪だけでなく、過去1年間で4400件以上の企業幹部の海外移住が確認されており、その数は急増の一途を辿っています。これらのデータは、「WEXIT」が単なる個別の動きではなく、イギリス経済に大きな波紋を広げる広範な現象であることを示唆しています。
イギリスの富裕層流出問題を背景に、ロンドンの金融街を象徴する高層ビル群の景色
富裕層流出の背景:非居住者(Non Dom)制度の廃止
富裕層の大量流出の決定的な背景となっているのが、イギリスの独自の税制であった「非居住者(Non Dom)制度」の廃止です。この制度は、イギリスに居住しながらも税務上の永住地(ドミサイル)がイギリス国外にある個人を対象とし、彼らが海外で得た収入については一定期間、イギリスでの納税義務を免除するというものでした。
フィナンシャルタイムズによると、この制度の起源は1799年、ナポレオン戦争の莫大な戦費を賄うために所得税が創設された時代に遡ります。当時、大英帝国が領土を拡大し、アメリカ大陸の植民地を中心に綿花やタバコ、砂糖などの大規模農場を経営する資産家を多く抱えていました。Non Dom制度は、こうした海外資産を持つ人々を新たな税制から保護することを目的として導入され、実に200年以上にわたり現代まで存続してきました。ニッセイ基礎研究所経済研究部の常務理事である伊藤さゆり氏は、この制度が「金融業を中心に英国経済を支える専門技能を有する(海外からの)人材や資産家らを引き付ける装置として機能してきた」と指摘しています。
しかし、この長寿な優遇税制が2024年に遂に廃止されました。昨年、非居住者優遇制度の廃止を決定したのは、当時の保守党スナク政権です。そして、今年7月に政権交代を果たした労働党のスターマー政権は、この決定を引き継ぎ、2024年4月に制度を完全に廃止し、さらなる課税強化に踏み切りました。富裕層の国外流出が止まらない状況にもかかわらず、イギリス国内では「富裕層への課税強化」を求めるデモが相次いでおり、市民の間に税の公平性を求める声が根強く存在しています。
一方で、富裕層はイギリス経済の重要な支え手でもあります。ブルームバーグの分析によれば、このまま富裕層の国外流出が続けば、今後4年間で数千人規模の雇用が失われる可能性があり、これはイギリス経済にとって看過できないリスクとなります。
結論
イギリスで加速する富裕層の国外流出「WEXIT」は、長年維持されてきた非居住者制度の廃止という税制改革が引き金となっています。この動きは、公平な課税を求める国民の声と、富裕層が経済に与える貢献という二つの側面の間で、イギリス政府が直面する複雑な課題を浮き彫りにしています。多額の資産と専門人材の流出は、金融業を中心とする英国経済の成長にブレーキをかけ、雇用の喪失という具体的な影響をもたらす可能性があります。今後、イギリス政府がこの経済的影響にどのように対応し、国際競争力を維持していくのかが注目されます。
参考資料
- Yahoo!ニュース(テレビ朝日系):イギリス 大富豪が相次ぎ国外に流出…富裕層「優遇制度」廃止が背景に (https://news.yahoo.co.jp/articles/38ab381a9c95bed9757114b726d1c7822b934bc7)
- フィナンシャルタイムズ (Financial Times)
- ブルームバーグ (Bloomberg)
- ニッセイ基礎研究所 (NLI Research Institute)