『あんぱん』に登場「いせたくや」モデル・いずみたくとやなせたかし、運命の出会い【永六輔が繋いだ名曲秘話】

現在放送中のNHK連続テレビ小説『あんぱん』では、来週から大森元貴さん演じる「いせたくや」が登場することが予告され、注目を集めています。この「いせたくや」のモデルは、作曲家いずみたく氏であり、彼は「柳井嵩(演:北村匠海)」のモデルであるやなせたかし氏と共に、日本を代表する名曲「手のひらを太陽に」を生み出した人物です。ドラマの舞台はまだ1940年代後半ですが、史実とは異なるタイムラインで、いせと嵩の出会いが描かれることでしょう。しかし、実際にやなせといずみたくが初めて顔を合わせたのは1960年代に入ってからのことで、その運命的な出会いを繋いだのは、ある大物でした。

「あんぱん」で描かれる出会いと史実の相違点

『あんぱん』劇中では、いせと嵩が比較的早い段階で出会う展開が予想されますが、史実においては、やなせたかし氏といずみたく氏の初めての出会いは1960年代初頭のことでした。二人の接点となったのは、当時20代ながらすでにラジオやテレビ番組の企画・演出で名を馳せていた永六輔氏です。永氏は、やなせ氏がいずみ氏と出会う前年に坂本九氏の大ヒット曲「上を向いて歩こう」の作詞を手がけるなど、その才能を発揮していました。

永六輔が繋いだ運命の接点:ミュージカル「見上げてごらん夜の星を」

永六輔氏は、1960年、面識がなかったやなせたかし氏の自宅に突然「お願いがあってきました」と訪ねてきたといいます。この時、永氏がやなせ氏に依頼したのは、ミュージカル『見上げてごらん夜の星を』の舞台美術の仕事でした。やなせ氏は、自身の著書『人生なんて夢だけど』(2005年初版)でこの時のことを振り返り、会ったこともない14歳年上の自分に、なぜ永氏が舞台美術を頼んできたのか長年不思議だったと述べています。漫画家として活動していたやなせ氏にとって、立体的な美術は「不得手で自信は皆無」な分野であったにもかかわらず、永氏は彼の才能を見抜いていたのかもしれません。

このミュージカル『見上げてごらん夜の星を』の制作を通じて、やなせ氏は作曲を担当したいずみたく氏と運命的な出会いを果たします。この作品は、やなせ氏にとって初の舞台美術担当、永氏にとって初のミュージカル演出、いずみ氏にとっても初のミュージカル作曲と、「初の試み」が重なった記念碑的な作品でした。そして、テーマ曲である「見上げてごらん夜の星を」が現在も多くの人に歌い継がれていることからもわかる通り、このミュージカルは大成功を収めたのです。

NHK連続テレビ小説『あんぱん』で柳井嵩役を演じる俳優・北村匠海。彼が演じるやなせたかし氏のモデルとなった実像に迫る。NHK連続テレビ小説『あんぱん』で柳井嵩役を演じる俳優・北村匠海。彼が演じるやなせたかし氏のモデルとなった実像に迫る。

名曲「手のひらを太陽に」誕生の背景

ミュージカル『見上げてごらん夜の星を』での共同作業を通じて、やなせたかし氏といずみたく氏は意気投合しました。そして1961年、やなせ氏が日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)の朝のニュース番組で「今月の歌」の構成を担当していた際に、彼はいずみたく氏に新たな曲の作曲を依頼します。この時、やなせ氏が作詞したのが、後に国民的愛唱歌となる「手のひらを太陽に」の歌詞でした。

歌唱を担当したのは、当時著名な歌手であった宮城まり子さん(『あんぱん』では白鳥玉恵として登場予定)です。この曲は、発表後すぐに局の垣根を越え、1962年にはNHKの『みんなのうた』でも紹介され、その知名度を全国区に広げました。さらに1969年には小学校6年生の音楽の教科書に掲載されるに至り、「手のひらを太陽に」は誰もが口ずさめる日本の名曲として、確固たる地位を築いていったのです。永六輔氏が繋いだ二人の出会いが、いかに日本の音楽史に大きな影響を与えたかが伺えます。

『あんぱん』次週への期待:史実が示す物語の深み

NHK連続テレビ小説『あんぱん』で史実よりも早く、やなせたかし氏をモデルとした柳井嵩といずみたく氏をモデルとした「いせたくや」が出会う展開は、「手のひらを太陽に」誕生のきっかけとなる重要なエピソードが描かれる可能性を示唆しています。ドラマがどのように史実を織り交ぜながら物語を進めていくのか、来週の放送も引き続き注目が集まります。歴史的な背景を知ることで、ドラマの描写がより深く、多角的に楽しめることでしょう。

参考書籍:

  • 『人生なんて夢だけど』(著:やなせたかし/フレーベル館)