巣鴨プリズンが生んだ戦後日本の支配者たち:A級戦犯たちの知られざる権力網

「戦後の日本を支配したのは、ごく一部の“ムショ仲間”だった」。中川右介氏の新著『巣鴨プリズンから帰ってきた男たち A級戦犯たちの戦後史』(清談社Publico)は、この衝撃的な言葉で、戦後80年を迎える日本の政治と経済の深層に迫る。GHQに逮捕され巣鴨プリズンに収監された、いわゆる戦犯容疑者たちの、出所後の知られざる人間関係と権力闘争を描き出し、日本の現代史における彼らの影響力を浮き彫りにしている。彼らはいかにして失われた権威を取り戻し、戦後の日本を動かす原動力となったのか。本書は、その謎多き「人生の交錯」を解き明かす。

A級戦犯とは何か?その多様な顔ぶれ

戦争犯罪人は、その罪状により「平和に対する罪」を問われたA級、「通例の戦争犯罪」や「人道に対する罪」を問われたBC級に分類される。A級戦犯は、戦争の決断と遂行に責任を持つとされ、開戦時の首相である東條英機とその閣僚を中心に、政治家、軍人、財界人など百数十名が容疑者として逮捕された。その中には、満州で強大な力を持った「弐キ参スケ」(東條英機、星野直樹、岸信介、松岡洋右、鮎川義介)の他、元内務官僚で読売新聞社主の正力松太郎などが含まれる。

逮捕された容疑者のうち、起訴され有罪が確定したのは25名で、うち7名が死刑となった。しかし、驚くべきことに、7割もの容疑者が不起訴または釈放されている。中川氏は、この中に「さほど大物ともいえない」人物が含まれていたことに疑問を呈する。例えば、ロッキード事件などで暗躍したフィクサーとして知られる児玉誉士夫は、敗戦時わずか34歳で、軍への物資供給やスパイ活動を行う「使い勝手のよい男」に過ぎなかった。また、笹川良一も単なる右翼の衆議院議員であり、政府や軍の要職には就いていなかったにもかかわらず逮捕された。これらの「異例」とも言える逮捕劇が、後の彼らの権力構築に奇妙な影響を与えることになる。

中川右介氏の新著『巣鴨プリズンから帰ってきた男たち A級戦犯たちの戦後史』の表紙。戦後の日本を形成した重要人物たちの複雑な関係を解き明かす一冊。中川右介氏の新著『巣鴨プリズンから帰ってきた男たち A級戦犯たちの戦後史』の表紙。戦後の日本を形成した重要人物たちの複雑な関係を解き明かす一冊。

巣鴨プリズンが育んだ「権力のネットワーク」

不起訴・釈放された彼らは、巣鴨プリズンに収監された経験を「勲章」と捉え、自らを「大物」であるかのような虚像を作り上げていった。児玉誉士夫は「自由党は俺が作った」と豪語し、その資金は軍のために用意したダイヤモンドを売却して得たと語るが、その真相は定かではない。笹川良一が競艇の利権を握る法律が成立した背景には、岸信介の影が見え隠れする。さらに、児玉、笹川、岸の三者は、国際勝共連合(統一教会の別団体)の発起人まで務めており、彼らの間の強固な繋がりを物語っている。

これらのもつれ合う糸の中心にいたのが、岸信介だ。東條内閣の閣僚として逮捕され、巣鴨プリズンで3年間を過ごした彼は、出所後に公職追放となるものの、わずか1年で国政に復帰する。その後、保守合同、自民党結党の中心人物となり、ついには内閣総理大臣にまで上り詰める。その驚異的な政治生命と力の源泉は、巣鴨プリズンで培われた「同窓生」たちのネットワークに他ならない。

日産コンツェルンの総帥である鮎川義介は巣鴨プリズンを「巣鴨大学」と呼び、笹川良一も「人生最高の大学」と称した。本来ならば交わることのない官僚、政治家、実業家、そしてフィクサーたちが、巣鴨という特殊な環境で「同級生」となった。この異色の出会いが、戦後の日本の政治と経済に計り知れない影響を与えたと、中川氏は指摘する。

岸信介と「巣鴨大学」の遺産

「巣鴨大学」が築いたネットワークに対し、吉田茂の側近グループは「吉田学校」と呼ばれ、官僚出身の池田勇人や岸の弟である佐藤栄作らが名を連ねた。「吉田学校」が保守本流を自任する一方で、岸は保守傍流と位置づけられることが多かった。

しかし、両者は対立していたとされながらも、その関係は複雑だった。彼らはともに官僚出身であり、岸の従弟と吉田の娘が結婚するなど、実際には親戚関係にあった。佐藤栄作も「吉田学校」の一員でありながら、実兄である岸と気脈を通じていたとされる。権力をめぐる小競り合いはあったにせよ、決定的な対立や分裂には至らなかったのだ。中川氏は、日本の社会階層そのものが「世襲」されているとまで語る。戦後日本の権力構造の根源に、巣鴨プリズンで形成された人間関係があったという事実は、現代に続く日本の政治・経済のあり方を深く理解する上で不可欠な視点を提供する。

まとめ

中川右介氏の『巣鴨プリズンから帰ってきた男たち A級戦犯たちの戦後史』は、戦後の日本を形作った見過ごされがちな側面、すなわち「巣鴨プリズン」という特殊な場所で結びついた「ムショ仲間」たちのネットワークに光を当てる一冊だ。彼らが戦後、いかにして再び権力を掌握し、日本の政治経済の裏舞台で影響力を振るったのかを詳細に描いている。岸信介をはじめとするキーパーソンたちの「巣鴨大学」での経験が、その後の日本の保守勢力の形成に決定的な役割を果たしたという指摘は、従来の歴史認識に新たな一石を投じるものである。「戦後は続くよ、どこまでも」。この言葉が示すように、戦時の負の遺産は形を変え、戦後の日本社会に深く根を下ろしていった。本書は、日本の現代史を読み解く上で必読の一冊と言えるだろう。

参考文献