日本のユースホステル、最盛期から激減の背景を探る:利用者数1/12以下、軒数1/4以下に

世界中で愛され、日本国内でも70年以上にわたり旅人を支え、交流の拠点となってきた「ユースホステル」は、その料金の手頃さと豊かな交流体験で多くの旅行者に親しまれてきました。特に若年層の旅行をサポートする役割を担い、素泊まり約4,000円という安価な価格で利用でき、多くが複数人での相部屋形式(ドミトリー)を採用しているのが特徴です。しかし、この半世紀でその姿は大きく変化し、最盛期に比べ軒数は4分の1以下、宿泊者数は12分の1以下にまで減少しています。

日本のユースホステル、最盛期から激減の背景を探る:利用者数1/12以下、軒数1/4以下に

2013年撮影、2021年に閉館した支笏湖ユースホステル旧館の外観2013年撮影、2021年に閉館した支笏湖ユースホステル旧館の外観

ユースホステルの起源と国際的な広がり

ユースホステルの歴史は、1909年にドイツで始まりました。当時の産業革命による工業化は、大気汚染を引き起こし、多くの子どもたちが活力を失いつつある時代でした。このような状況を憂慮した教師のリヒハルト・シルマンが、生徒たちを森へ連れて行き、自然の中で生活させる取り組みを開始。この試みが評価され、古城を改修した施設が世界初のユースホステルとして整備されたのです。現在では、イギリスに本部を置く「国際ユースホステル連盟」が、世界中のユースホステルを統括し、その理念と運営を支える役割を担っています。

日本ユースホステルの歴史と最盛期

日本国内におけるユースホステルの展開は、1951年に日本ユースホステル協会が設立されたことから本格的に始まりました。日本では、「直営」、行政が運営する「公営」、そして民間が運営する「契約」の三つの異なる運営形態が存在します。1952年からは、日本ユースホステル協会が国内の宿泊施設と契約を結び、ユースホステルネットワークを拡大していきました。

日本におけるユースホステルは、設立から約20年が経過した1970年代にその最盛期を迎えます。統計によると、1973年の年間宿泊者数は340万9833人に達し、1974年にはユースホステルの軒数が587軒を数えました。これは、当時の若者たちの旅行スタイルや、手頃な価格で質の高い交流が可能な宿泊施設への需要がいかに高かったかを示しています。

激減の実態:最新データが示す現状

しかし、最盛期を過ぎると、日本のユースホステルは減少の一途をたどります。直近の2024年の統計では、年間宿泊者数は26万6363人、総軒数は124軒にまで激減しています。これは最盛期と比較して、宿泊者数が約12分の1以下、軒数が4分の1以下という大幅な減少を示しており、日本の旅行形態や社会状況の変化を浮き彫りにしています。現在の内訳は、直営が17軒、公営が4軒、契約が103軒となっています。

特に数の減少が顕著な地域の一つが北海道です。旅行先として高い人気を誇るこの地でも、1976年には97軒あったユースホステルが、2024年にはわずか20軒にまで減少しました。これは、全国的な減少傾向の中でも特に深刻な地域の変化を示しています。

今も人気のユースホステルは?

このような厳しい状況下でも、安定した人気を維持しているユースホステルも存在します。2022年から2024年までの3年間で、最も多くの宿泊者数を記録し続けているのは、京都市宇多野ユースホステルです。また、これに続く人気を誇るのは、東京上野ユースホステル、東京セントラルユースホステル、そして大阪国際ユースホステルといった、大都市圏に位置する施設が挙げられます。これらの人気ユースホステルは、立地条件の良さや、施設としての魅力、または特別なプログラム提供などが要因となっている可能性が考えられます。

まとめ

ユースホステルは、かつて多くの若者や旅人にとって、手頃な価格で宿泊し、多様な人々との交流を深める場として重要な役割を果たしてきました。しかし、最盛期から半世紀を経て、その数と利用者は著しく減少しています。旅行市場の変化、新たな宿泊形態の登場、そして施設の老朽化など、その背景には様々な要因が複雑に絡み合っていると考えられます。ユースホステルが再びその魅力を発揮し、旅の選択肢として認識されるためには、現代の旅行者のニーズに応じた新たな価値創造が求められるでしょう。

参考資料

  • Source link
  • 日本ユースホステル協会 公式ウェブサイト
  • 国際ユースホステル連盟 公式ウェブサイト