兵庫県知事会見で露呈したジャーナリズムの倫理問題:時事通信記者の「私見」が問うプロの規範

2024年7月29日、兵庫県・斎藤元彦知事の定例記者会見において、時事通信の女性記者が自身の私見を述べ、大きな波紋を呼びました。記者は、斎藤知事が「震源地」となり、結果として自身が誹謗中傷を受け、配置転換に至ったと主張。この異例の事態は、ジャーナリズムのあり方、特に公の場でプロフェッショナルが守るべき一線について、深く問いかけるものとなりました。

ジャーナリズムの本質的課題と「ジャーナリストと殺人者」

ジャーナリズムは、その本質において道徳的な欺瞞を内包すると、作家ジャネット・マルコムはその名著『ジャーナリストと殺人者』で鋭く指摘しています。マルコムによれば、ジャーナリストは共感や理解を装い取材対象の信頼を得ますが、最終的には対象を裏切り、自身の物語を構築するための冷徹な材料として利用する側面を持つとされます。彼女が描くジャーナリスト像は、対象の虚栄心や孤独につけ込み、計算された裏切りを実行する「プロフェッショナルな詐欺師」とも言える存在です。このような非情な職業倫理は、ジャーナリズムが成立するための必要悪ですらあるとされます。

しかし、今回の兵庫県知事の定例記者会見で起きた出来事は、マルコムが分析した「冷徹なプロの姿」とは似ても似つかない、ジャーナリストとしての規律が根底から崩壊した光景でした。時事通信の女性記者が、県政とは直接関係のない自身の境遇や心情を公の場で訴えたのです。

兵庫県知事会見での時事通信記者発言の全容

問題となった女性記者の発言は以下の通りです。

「先週もここで質問をして、その後、会社にクレームの電話が鳴り止まずに私は県政の担当を外れることになりました。記者が会見で質問をして、即日炎上して、翌日には配置換えが決まるということが兵庫県では起きます。これをまた成功体験にして、ネットの人たちがこぞって兵庫県に集まってくると。兵庫県はそういう遊び場になっていると、私は思いますね。こうすることで記者が委縮して、職員や議員が委縮していくわけですけれども。斎藤知事が推し進めている風通しの良い職場づくりはそれで実現するんでしょうか。まともな県政運営に繋がるんでしょうか。いつも震源地にいるのは知事です。知事しかこの状況を変えられないと、私は思っています。なのに知事はこの状況を問題に思っているようにも、変えようと思っているようにも見えません。いつまでこんなことが続くのか、続けるのかと私は思っています」

記者会見の壇上に並べられたマイクのクローズアップ。報道の自由と倫理の象徴。記者会見の壇上に並べられたマイクのクローズアップ。報道の自由と倫理の象徴。

プロフェッショナルな一線を超えた発言の波紋

この女性記者の発言は、ジャーナリストが公の場で守るべきプロフェッショナルな一線を根底から踏み越えていると指摘されます。経済誌プレジデントの元編集長で作家の小倉健一氏も、「プロの視点」からこの事態を解説し、メディアにおける規律の重要性を強調しています。定例記者会見は、県政運営に関する情報を県民に伝えるための公的な場であり、記者は自身の質問を通じて公共の利益に資する役割を担います。個人の感情や職務上の不満を公の場で表明することは、ジャーナリストとしての客観性や中立性を損ね、報道機関全体の信頼性にも影響を及ぼしかねません。

ジャーナリズムの信頼性への問いかけ

今回の兵庫県知事会見での一連の出来事は、ジャーナリズムがその社会的な役割を果たす上で不可欠な倫理観と規律の重要性を改めて浮き彫りにしました。情報の正確性、客観性、そして公私の区別は、報道機関が社会からの信頼を得るための基盤です。ジャーナリストが「私見」を公の場で述べることで生じる波紋は、単なる個人の問題に留まらず、メディア全体の信頼性、ひいては民主主義社会における情報流通の健全性にも影響を与える可能性を秘めています。今後、この問題がジャーナリズム界全体にどのような議論を巻き起こすのか、その動向が注目されます。


参考文献: